理窓 2017年1月号
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18(1)将来の夢~中学校の先生になりたい~ きっかけは、私が中学・高校時代の先生方との出会いでした。数学・理科が苦手だった私に熱心に指導してくださった姿に、「私もこんなふうに分かりやすく教えられる先生になりたい」と思うようになり、教師への夢を抱くようになりました。そして高校3年生、進路選択の折、受験する大学はどこにするかについて調べていく中で、「大学4年間は、絶対東京で過ごしたい。理科の教師を目指すのであれば、理科の専門大学である東京理科大学で学びたい」という思いが日に日に強くなり、東京理科大学を受験しました。入学当初は慣れないひとり暮らしに戸惑うこともありましたが、友人にも恵まれ、思い出深い大学生活を送ることができました。また、温かくご指導してくださった先生方には、深く感謝しています。(2)理想の教師像が見えた専攻科時代 大学を卒業してからは、教員採用試験の受験を見据え、理学専攻科(物理学専攻)に進学しました。この時、私の教師生活に最も影響を与える出会いがありました。理科教育法をご指導して下さった武田一美先生です。 武田先生は、その当時から指導が厳しいことで有名でした。しかし、理科教員としての心構え、教材研究の大切さ、実験や観察を通して学ぶことの大切さ等、教師を目指す私にとってすべてが印象に残るものでした。大分に帰ることを報告したときも、「理科といえば長野先生といわれるようになりなさい」と言葉を頂きました。今でも私の心の励みとしています。 また、専攻科時代、板橋区立教育科学館において科学指導員として勤務した折、科学を楽しく体験できるサイエンスショーや、科学に関する展示物の作成に携わりました。目を輝かせながらサイエンスショーを見る子供達の姿から、科学の面白さ、その素晴しさを感じ、その後の私の教師生活の大事な財産となりました。(3)中学校教員として実践したこと 大分県では中学校の教諭として採用され、教材研究や部活指導、生徒指導と忙しくも充実した毎日が続きました。中でも教材研究には力を入れ、東京理科大学や教育科学館で学んだ経験を活かし、生徒がより楽しく理科を学ぶことができるような授業づくりに取り組みました。物理や化学の分野は必ず実験を通して理解をさせること、生物や地学の分野では実物を持ち込み、実感をもって学習できるよう取り組みました。 採用6年目からは大分大学教育福祉科学部附属中学校に転勤となり、より教材研究に打ち込める環境になりました。当時あまり普及していなかった電子黒板をいち早く取り入れた授業研究等、新しい教材開発にも積極的に取り組みました。(4)現在の仕事 指導主事として、県教育センター、教育事務所に勤務し、現在は大分県教育庁社会教育課で3年目を迎え主に子供の科学体験の推進に関わる事業の担当をしています。以前私が勤務していた教育科学館と酷似した業務内容であり、当時経験したノウハウを存分に発揮しているところです。大分県内の小・中学生への科学体験活動の普及を通して、科学の楽しさや喜びを伝えられることに携わることができ、充実した毎日を送っています。 また、大分に帰ってからは、東京理科大学の同窓会にも積極的に参加しています。先日も私の事業において、科学体験の講師探しに困っていたところ、同窓の先輩に相談に乗って頂き、本当に助かりました。今後はこれまで以上に様々な縁を大切にしながら、科学を学ぶことの楽しさ、素晴しさを伝えることを通して、科学好きな子供をたくさん育てたいと思います。(大分県教育庁社会教育課 指導主事)長野 雄一郎(平9理・専物)ががんばるんばる同窓同窓私を支えた「恩師の言葉」

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