理窓 2016年10月号
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2516・10 理窓ががんばるんばる同窓同窓は生徒対応等もあり、休憩時間は殆ど取れないのが実態です。放課後は部活動や会議、保護者対応もあり、教材の準備は勤務時間後で、帰宅は遅くなります。 公立学校や多くの私学は協定を結んでいないので残業手当はありません。休日の部活動の指導も企業のような時間外手当はありません。長期休業中も定時まで勤務します。仕事を休むことへの抵抗もあり、有給休暇の未消化も多くなります。 この30数年の学校の状況を見ると、メディアでも取り上げられましたが、校内暴力、家庭内暴力、いじめ、モンスターペアレントなど、対応が難しいものが増え、「教員は聖職者」と言われた時代とは比較できない程の仕事の質と量になっています。 このような状況で教員を続けられるのは、自分の好きな教科のおもしろさや重要性をともに学ぶ楽しさや卒業する生徒やその保護者からの感謝の言葉、卒業後の成長した姿を見ることができる喜びがあるからです。これらは自分一人で出来るものではなく、支えてくれる職場の仲間がいるからできることです。最近とりくんでいること 現在の職場ではパソコンが全員に配布されています。個人的にエクセルで出来ることを工夫しています。年度初めに必要な座席表や掲示物の作成、学級の生徒の成績を分析が出来るファイルなどです。稚拙なものですが周囲には貢献できていると思っています。 今後も、個人レベルの工夫やアイデアをシェアすることで、生徒に関わる時間を増やし、生徒の成長を支えたいと考えています。(学校法人酪農学園酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校)私学教育に携わって私学教育に携わってはじめに 現在、札幌から北へ14キロほどの江別市にある学校法人酪農学園酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校に数学の教諭として勤務しています。 私は、1979年理学部2部数学科入学、1983年学部を卒業。2年間の教職浪人中は東京の本郷高校で非常勤講師として勤務し、その間に専攻科で学びました。 その後、北海道の公立高校の採用試験に合格し、教諭として旭川農業高校4年、稚内高校2年を経て、縁があって、1991年から現任校に勤務し、26年目を迎えています。理科大との出会い 中学生の頃に読んだ「坊っちゃん」が記憶の奥に残っていたのか、高校時代の大学受験ラジオ講座の先生の出身大学の東京物理学校(現東京理科大学)が目に留まりました。手の届かない存在と思っていましたが、幸せなことに2部数学科に入学することが出来ました。 入学時は企業への就職を考えていましたが、当時住んでいた新宿区上落合の東京学生会館の先輩の言葉がきっかけで教職課程を取ったことが、就職活動に失敗した私を救ってくれました。また、理科大で学んだことや本郷高校での勤務が、公立高校を辞めて私立高校へ移ることに勇気を与えてくれました。教員として働くこと 教員の仕事は授業、学級担任、部活動の指導、そして、教務、生徒指導、進路指導などの分掌が知られていると思います。 授業以外は休憩時間で余裕があると思われるかもしれませんが、時間割が1週間で30時間とすると、担当する授業、LHR、小グループの会議があり、空き時間は意外に少なくなります。お昼休み佐藤 文彦(58理・数2)

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