理窓 2016年10月号
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2316・10 理窓ががんばるんばる同窓同窓企業人的視点から長万部を考察する企業人的視点から長万部を考察する 理科大への入学が決まった当時、なぜ田舎に1年間も寮生活をさせるのか、大学側の意図が正直あまり理解できなかった。パンフレットの謳い文句「全人的教養教育」も腑に落ちなかった。理科大は自分で選択して受験したが第一志望ではなかったこともあり、余計に冷めた目でみていたのかもしれない。それでも長万部での1年間は私自身に変化をもたらしたばかりではなく、現在企業に勤務する私にとって影響を与えていることは間違いない。では長万部の魅力とは何なのか。 まず何と言っても自然の美しさ、豊かさ、厳しさを体験すること。それにより、自然の中で人間が生かされていること、自然を技術により破壊してはならないことを体得している。寮の窓から見た、青い海と空、夏休みに仲間と一緒に自転車で巡った美瑛の色とりどりの丘の風景、川の流れに逆らって泳ぎ、卵を産み付けて死んでいく雌鮭にみる生命への執念、都会では見ることのない2メートル以上の積雪、たった1年間ではあるが四季を通じて得られた感動が、その時々の自身の行動とともに今でも心に刻まれている。 次に、全く「無」というわけではないが、ほどほど「無」の状態に身を置くこと。長万部キャンパスには食堂もあれば、共同ではあるものの自室もある。だが、物が溢れる便利な世の中に身を置いていた若者が長万部に移り住むことは程度の差こそあれカルチャーショックをひき起こす。一歩町に繰り出すと、当時はコンビニエンスストアもなければカラオケボックス等の娯楽施設もない。スーパーは1件。病院は町立病院1件だけで、後は個人商店が国道沿いに点在していた。 エネルギーの有り余っている若い学生に休日も勉強させるためなのかもしれないが、私はこのほどほど「無」の中から何かを生み出す、特に創出することへの楽しさを体得することこそ、大学側の意図ではないかと感じる。 乳搾り体験、町行事の手伝いに始まり、夏休みの旅行、学園祭等の学校行事等、週末になると談話室でワイガヤが始まり、仲間がやりたいことを主張し、方向付けを見定める。学科のテストとは異なり正解どころか課題さえも設定されていない。それは今の企業での仕事と何ら変わらない。そして、このような「無」から何かを創出するには一人でやるより、仲間との協同によるほうが満足度の高い成果物が出てくることも私達は体得している。 長万部には、同部屋のルームメート、隣近所部屋と形成されるクラスターのメンバー。そして学科、そして学部の同級生がいる。寝食をともにし、夜遅くまで語り合った仲間。これこそ長万部の最大の魅力であろう。そして、何事もまずは仲間を尊重し、多様な価値観を許容していくことが、長万部の寮生活により得られた、私の財産でもある。 実は入学後も医師になることを希望していた私は仲間に内緒で大学受験を目指して夜中受験勉強をしていた。一方で長万部での生活を送りながら、自分が何のために医師になりたいか自問自答した。自分がやりたい本当のことは医師になることではなく、人の役に立つことがしたいということに、仲間との過ごす中で気付かされた。 最後に、長万部町との地域交流も忘れてはならない。入寮・退寮式には町長をはじめ、町の人々までもが駆けつけて下さった。当時は町のおじさん達が事ある度にビールとジンギスカンで我々学生を誘ってくださり、我々もご馳走になれるからという理由だけで参加したものだった。しかしながら、今にして思えば長万部キャンパスの誘致が町にとっては雇用創造、人口増となり、地域社会の活性化に繋がる大事だったのである。日本流の企業経営で大切にしていることは、顧客(学生)、従業員(教員)、地域社会(町民)だといわれているが、基礎工学部は企業経営の観点からも企業が参考にできる仕掛け・仕組みが満載のようである。(協和発酵キリン株式会社)藤野(大久保)育子(平5基工・生)

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