理窓 2016年10月号
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22教員への道 基礎工学部3期生の横田です。基礎工学部30周年おめでとうございます。 私は、子供の頃から全く興味のなかった教員の道を選び、現在まで23年間、続けています。あるとき「人相手の仕事がしたい」と思いたち、急きょ、教員を目指すことにいたしました。そんな感じで受けた教員採用試験でしたので、すぐに受かるわけもありませんでしたが、秋田県の臨時採用と北海道の補欠合格。秋田県は4月1日からの臨時採用、北海道は4月1日以降でも、断る人がいれば、正式採用。どうするか迷って村上教授に相談したことがあります。すると、村上教授は「秋田で4月から働いて、その後、北海道に行くことになるかもしれない。秋田の生徒を途中で置いていくことになるだろ。そういうことは、教員として無責任だと思わないか。」と、おっしゃいました。今でも、その時の場面は、よく覚えています。 こうして私は、卒業式の後、北海道から正式採用の連絡をいただき、教員生活を十勝の中札内村からスタートすることになりました。教員になって 北海道で15年間、東京で8年間、ずっと知的障害のある生徒の高等部で教員を続けています。1学年40~50人の生徒が毎年、入学してきますので、1000人近い生徒と出会ってきました。公立校の教員は異動がありますので、毎年、教員とも新たな出会いがあります。加えて、現在は、進路専任といって、学年全員の生徒の進路先を決めていくポジションに就いており、障害者雇用をしていただけるよう、様々な企業をまわったり、生徒が希望する福祉施設に生徒資料を持っていったりする毎日です。そうした毎日の中で、学校以外の場所でも多くの方と出会うことができるようになりました。 教員になって一番良かったことは、こうして多くの人と出会うことができた、ということです。 村上教授をはじめ、長万部でお世話になった寮母の品野先生、早くに亡くなってしまった生徒など、今はもう会えない人もたくさんいます。しかし、今回、長万部で行われた30周年大同窓会では、亡くなった方たちを通して、新たな出会いがありました。食べた物で体ができているのと同じように、多くの人との出会いで、今の私ができているのだと思うのです。高校の友人からは「大人になって性格が丸くなったよね」と、言われます。木が枝を伸ばしていくように、出会いが出会いを呼び、多くの出会いが私を成長させてくれるのだと思います。特別支援教育 一昨年の教員免許更新を神楽坂校舎で行いました。その時にある方から「せっかく理科を専門に勉強したのに理科の授業をしないなんて、もったいないとは思いませんか?」と質問されました。知的障害の特別支援教育では理科の授業はほとんどありません。これからも大学で学んだ専門知識を具体的に活かす機会はほとんどないでしょう。でも、必ず何かの形で役に立っているはずです。学んだことが無駄になっていると感じたことは全くありません。 知的障害の特別支援教育に携わって23年。別の目的で始めた取り組みが、全く違う所で、思わぬ効果を出すという経験を何回もしました。だからこそ、教育は、人生は、面白い。学生のみなさんへ これから社会へ飛び立とうとしている学生の皆さんには、関係ないと思われるようなことでも、ぜひ経験してほしいと思います。多くの出会い、多くの経験が人を育てるのだと思うからです。 私自身、これからも、どんな人と出会えるか、どんな経験ができるか、忙しい中にも楽しみな毎日です。 (東京都立板橋特別支援学校)ががんばるんばる同窓同窓⑧横田 真理子(平5基工・生)

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