理窓 2016年7月号
44/54

40応用化学科の小さなクラスに分かれますが、自分が希望するところに進めるわけで、非常に民主的なシステムであると思いました。私は応用化学科を選び37名のクラスメートが出来、はじめて友人ができ楽しい学校生活が始まりました。お互いが親交を深めるべく「外濠会」を結成し、卒業後も情報交換、意思疎通等を深めることとなりました。「物理を出てから50年」を記念して卒業後の夫々の歩んだ道、家族の消息等について155頁の有意義な出版誌を作成し、大事に保管しております。2 軍隊での生活2 軍隊での生活 軍隊生活の中で私の人生観を大きく変え、大変役立ったことがあります。それは幹部候補生として保定予備士官学校(中国河北省保定)に入学してのことです。軍事訓練の際、教官は腰に軍刀と図袋だけの軽装であり、我々候補生は小銃、短剣、背袋、鉄兜、防毒マスク、天幕、シャベル、弾薬等の完全装備で約30㎏の重いものを身に着けている。演習の途中に駆け足進めの号令が出て1㎞位走ると次第に落伍者が出て教官に付いていくのは東京物理学校東京物理学校のの思思いい出出⑪⑪1 物理学校に入学して1 物理学校に入学して 物理学校を卒業してから74年96歳になりました。物理学校は「入るは易しく出るは難しい」ことで有名でした。その物理学校に入学した理由を回顧すると、私の中学校には物理学校出身の先生が3名いて数学、理科を担当されていましたが、他の大学、高等師範出身の先生よりも教え方が上手で実力もあるとの評価を受けておりました。中学5年を卒業しておれば誰でも入学が出来、そして月謝は国立が8円で物理学校は6円と全国一安く、子沢山の親にも迷惑が少ないので入学を決めた次第です。 入学してびっくりしたことは、授業を受けるには学生証を昔の国鉄の改札口と同じ柵があり、門番に提示して校内に入ることができるシステムであり、教室は400名程度の広い講義室で席は早い者勝ちで席取りに苦労し、毎日隣りの生徒は異なっており、友人は出来ませんでした。 一年間が受験勉強のようなものでしたが、教授の先生方は東大、東工大、理研等の素晴らしい日本トップクラスの方であり、懇切丁寧に教えてもらい、基礎が確立し実力が養成されたと思います。一年生の時、最も印象に残っている先生は独身で若い矢野健太郎先生で微積分を習いましたが、問題を解くとき黒板にもの凄く早く計算しながら記載されるので、私はノートに写すのが精一杯で先生の頭はどんなになっているのかと驚くばかりでした。頭の悪い私は帰宅後ノートの整理と復習を繰り返してようやく理解できるようになりました。要はコツコツと粘り強く反復することが大切であり実力につながるものだと痛感しました。 2年に進学する時期に2階の廊下で1年間の全教科目の点数が記載された成績発表があります。2000名余りの中で約200名位が2年生となり、本科、高等師範科、数学科、理化学科、応用物理科、岩川岩川  廉夫廉夫(17年9月応用化学科卒)

元のページ 

page 44

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です