理窓 2016年7月号
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32学生時代 東京都出身の松野由紀夫です。 一浪後入学しましたが、神楽坂という恵まれた場所柄、色々な社会勉強も学び楽しい学生時代を過ごしました。建築学科には、卒業論文と卒業設計があり、締切ギリギリにやっと間に合ったことも今となっては学生時代の良い思い出です。卒業・入社 当時は第1次石油ショックの後で、戦後初のマイナス成長となり高度成長時代の終焉を迎え、就職状況も非常に厳しい時期でしたが、大成建設株式会社に入社出来ました。入社時の面接で海外希望であると表明したら、「変わってるねぇ」と言われましたが、福岡支店に配属になりました。石油の値上げで潤った中東地域で建設ブームが起こり、大成建設も海外プロジェクトが急激に増えました。福岡支店から、結局海外希望をしている私が選ばれました。これが私の海外生活の出発でした。海外赴任 入社3年次の1977年にアフリカのナイジェリアでの石油精製所建設プロジェクトへの赴任が決まりました。当時のナイジェリア入国には予防接種を受けた証明書(イエローカード)が、法的に3種類必要でした。これ以外にも推薦された2種類の予防接種を受けました。接種を受ける順番があり、普通に受けると6週間掛かるところ、建設会社得意のクリティカル工程によりパスポート取得も合わせ最短3週間で出国できるように考えられていました。当時は羽田空港から出発で、アンカレッジ、アムステルダム経由で2日半掛りでナイジェリア中部のカノ空港へ到着しました。私にとって初めての海外旅行であり、全てが初めての体験で、2年半の駐在期間の経験はその後の長い海外生活でも味わえない貴重なものとなりました。 その後、約3年の国内勤務の間に結婚し、子供も儲けたところで、1983年に2度目の海外勤務として、マレーシアに赴任しました。私が配属されたのはクアラルンプール近郊の職業訓練学校のプロジェクトでしたが、完成後、横滑りでシンガポール勤務となりました。8か月の突貫現場担当として赴任しましたが、結局16年間シンガポールに駐在しました。12年間は家族帯同していましたので、家庭崩壊せずに今に至っています。また子供たちも小学校から高校までの多感な時期をシングリッシュ(シンガポール発音の英語)環境で育ったので、多民族社会の経験もでき、いっぱしのグローカルになりました。 1997年のアジア通貨危機の影響でシンガポールも新規プロジェクトが激減した為、フィリピンに異動となりました。約3年間滞在して市場の様子が分った頃、ベトナムに横異動となりました。ホーチミンとハノイを兼務しながら5年間駐在しました。その後、2004年に大型発電所プロジェクト担当でマレーシアに約20年ぶりに再赴任となりました。クアラルンプールも見違えるような大都市となっており、生活し易い環境になっていました。 2回目の海外赴任はマレーシアに始まり、25年間継続して海外駐在でした。ナイジェリアに始まった海外勤務ですが、それぞれの国で「地図に残る仕事」をしてきました。それが何よりの喜びです。 そして、2015年4月からは大成建設の現地法人であるPP大成インドネシア建設の社長として、3度目の海外赴任でインドネシアに駐在しています。理窓会 ジャカルタに赴任後、現地の日本語新聞でジャカルタ理窓会があるのを知り早速参加しました。現在、会員数は45人ですが、毎月の懇親会、時々ゴルフなどで親睦を深めています。 今後海外で活躍する機会は間違いなく増えると思います。そんな時の為に、理窓会があるということは何と心強いことでしょうか! ジャカルタにお越しの節は是非ご連絡を下さい。温かくお迎えします。 (PP大成インドネシア建設(株)社長)ががんばるんばる同窓同窓松野 由紀夫(50工・建)

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