理窓 2016年7月号
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3116・7 理窓ががんばるんばる同窓同窓積極的に海外へ積極的に海外へ 大学を卒業後、現在の会社に就職し、早36年が経ちました。今にして思うと、当時の志望動機は今の学生さん達のようにしっかりとしたものはありませんでした。工業化学科であったため、化学系の名前に惹かれて入社したような気もします。 入社すると商品開発部へ配属。親会社の材料を加工し、具体的な製品の形にする部署でした。その加工方法も当然今までに経験のないような大きな設備、装置を使用して作ったり、その反面、手作業で試作品を作り上げ、お客様のところへ持っていき、評価を頂き、その評価をもとに改良します。その作業の繰り返しです。当時のお客様は名だたる電気、電子機器のメーカーでしたので、評価も非常に厳しいものでした。しかし一から製品を作り上げていく楽しさを感じ、その後の様々な試練を乗り越える源となったようです。 その後、扱う製品は色々と変わりましたが製品開発部門で仕事をし、そのうち、いかにその製品を多く安定してつくりだすか、いわゆる生産技術的な面への興味が次第に湧いてきました。新しい製品も安定して同じものを作り出すことができなければそれは商品にはならないのです。しかも製品に要求される特性仕様は非常に難しいものです。そのような物作りの基本である生産技術的な面へと仕事のウェイトが自然とシフトしていきました。とは言え、自身は機械、設備はあまり詳しいわけではないので、会社の中でその道のプロと色々と相談しながら、共同して生産ラインを作り上げていく仕事が主体となっていきました。既存、市販の技術などどこにもない新しい加工技術を自ら作り上げていく、また、得意でないところは他人にそれを補ってもらうことで仕事を進めていくという共同作業がとても重要であることを身をもって感じた時でもありました。 入社後26年間、商品開発、生産技術での仕事をしてきたのですが、その後、生産統括部門へ身を置くことになりました。当時担当していた製品は日本、中国、マレーシアと多拠点で生産をしており、その効率的な生産体制の構築を策定する部門でした。多くの日系企業が海外の生産へシフトする中で、同様に生産拠点の海外展開が大きなポイントとなっていきました。 そのような仕事を経て、現在はマレーシア社の責任者として2011年東日本大震災の年の暮れに赴任し、4年半が経とうとしています。55歳で初めての単身海外赴任です。来客が多く、夕食はほとんどが外食です。マレーシアは食事がうまい。海外生活で一番大事なものは食事であると感じている私には文句の言いようがありません。 また、海外生活での良い点は仕事を超えて色々な企業の方々と知り合える機会が非常に多いことです。これは、これからの私にとって大きな財産になると思っています。 昨年10月、多くの方々にご苦労を賜り、マレーシア理窓会が発足しました。僭越ながら初代の会長をさせて頂いております。その際に、私同様に日本から赴任されている方、こちらで起業されている方、それに理科大に留学されて戻られているマレーシアの方など総勢50名ほどの同窓生がいらっしゃることがわかりました。これを機に幅広い年齢層のつながりを持たせていただいております。これも大きな財産です。 55歳での初めての海外赴任であり、特に言葉については、年齢を重ねてからの再チャレンジはむずかしい。マレーシアは多民族国家であり、様々な言語があるのですが、英語が通常語です。しかし、こちらの独特な発音もあり、わかりづらいです。 これからは私のような製造業だけでなくすべての分野で、ますます企業の海外進出は不可欠になってきています。皆さんにはこれから大きなチャンスがあります。是非、機会があれば積極的に海外を体験していただきたいと思っています。(信越ポリマー株式会社)池田 昌弘(55工・化)

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