理窓 2016年7月号
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16・7 理窓29た。当時は有機非線形光学材料が流行っていた頃だったので、ちょっと試してみようと、非線形光学効果を示しそうな化合物を合成してみることにした。硫黄を含む化合物を思いつき、さっそく合成してみることにしたのだが、原料がとても臭い(都市ガスの臭いの原液)。でもまあ臭いのは仕方がないか、と作業を始めたが、その原料化合物を蒸留している途中で冷却水が止まってしまい、悪臭が研究所じゅうに充満することになった。その日の午後いっぱいをかけて各研究室を謝ってまわった。やれやれと思っていたところ、なんと悪臭は下水道を通じて大通りの向こうの弁当屋さんにまで届いていた。夕方、日が沈むころになって近所は異臭騒ぎとなり、何台もの消防車やらパトカーやら白い検査車両やらが集まり、無数の赤色灯が点滅するなかなかの壮観となった。張本人である私は反応研の屋上からその壮観を眺め、どう謝ろうかと考えていた。しかし東北大のキャンパスに消防やら警察やらが聴き込みに来た際に守衛のおじさんたちがすっとぼけてくれたおかげで、異臭の発生源が反応研であったことはバレず、なんのお叱りも受けずに済んだ。その後もなんの調査も通達もなかった。地下鉄サリン事件が起こる前だったので、異臭に対してまだおおらかな時代だったかもしれない。 東北大での任期は2年だけだったので、任期が切れる頃に宇宙飛行士にでもなるかと思いNASDAのミッションスペシャリスト公募に応募したが英語の試験で無事不合格となった。その後九州の大分大学の講師募集に応募し、採用してもらうことができた。東北大ではひとつも論文を書かなかったが、大分に移るときには東北で見つけた家内を連れて行くことになった。これについては松田先生から「君は仙台で何をしとったんじゃ」と未だに言われている。30歳で独自の研究室を立ち上げることになったが、おカネがまるで無く予算申請書を書く日々が続いた。そのうちになんとか研究費をもらうことができ、「フォトリフラクティブ効果」の研究を開始することができた。光と高分子に関わる研究テーマである。大分は風光明媚な土地であり、あちこち車でドライブしたり、夜明け前から釣りをしたりしていた。夜明け前から学生と釣りに出かけ、太刀魚の大群でキラキラする海面にひっかけ針を投げ込んで釣りまくったことを今も思い出す。 平成12年に、縁あって助教授として東京理科大学に戻ることになった。着任当初は、1スパンの研究室(現在の化学系実験室の半分)を割り当てられた。当時は助教授(准教授)には個室がなかったので、1スパンの研究室で学生たちと実験や議論を行っていた。毎年卒研生を6~8人配属されたので、狭い研究室で実験をするための工夫の毎日であった。狭い研究室で、学生たちと一緒に、床に倒して置いた実験台の上に座って酒を飲んでいた。実験設備としては限界であったが、いい思い出である。 現在は神楽坂5号館に移り、「フォトリフラクティブ液晶の開発」、「刺激で剥がせる接着剤の開発」、「新しい液晶の開拓」という3つのテーマで研究を進めている。接着剤からホログラム素子まで幅広いのでいろいろとおカネがかかる。科研費やJST、企業などからも予算をいただいて研究を推進しているが、研究への助成には本当に感謝している。学生にはいつも、元気で体力さえあればたいていのことは解決するよ、と話している。

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