理窓 2016年4月号
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2716・4 理窓ががんばるんばる同窓同窓特許の世界へ特許の世界へ在学中 小さい頃から乗物が大好きで、両親や祖父母からは「伸ちゃんは工学部に入るのかな?」と言われたりもし、当然のように機械工学科に入学していました。入学してからは、勉強が楽しく、他学科や大学院の科目を含め、たくさんの科目を履修しました。その一方で、毎日のように学習塾でアルバイトをしていましたので、4限の授業が終わるとすぐ下校することが習慣になっていました。 大学に在籍していた当時は、携帯電話やパソコンが普及し始めた頃でした。このため友人達は、情報をうまく収集したりデータをコピーしたりする等して、レポートを手際よく作成していました。一方、授業以外で校内に居ない当方は、友人にパソコンの使い方を聞く時間も無く、ワードやエクセル等の基本ソフトもまともに使えない状況でした。このため、レポートの作成は手書きで、非常に苦労していました。 今となっては、レポート作成の苦労が、書類をまとめることの楽しさを知るきっかけだったと思いますし、現在の仕事に繋がる礎だったと感じています。 研究室では振動工学を学び、大学院を経由して、トレーラーを製造する輸送機器メーカーに就職することが決まりました。在学中に牽引自動車第二種免許を取得したことでトレーラーに興味を持ったことが一因でした。希望する就職先でしたが、組織に縛られずに動きたいという気持ちがあり、また、研究室の先輩が弁理士試験の勉強を始めたことも後押しとなり、卒業・就職と同時に、将来弁理士になって独立することを決意しました。弁理士とは 発明されたものが既に登録されていないかを調査したり、特許庁への出願手続を代理したりする国家資格保有者のことになります。主に、特許事務所や企業の知財部に所属して、知的財産(特許・実用新案・意匠・商標など)に関する業務に携わります。8割が理系出身者といわれ、理科大の出身者も非常に多い資格となっております。特許事務所に転職 弁理士試験の1次試験に合格したことが契機でした。メーカーには1年4か月しか在籍していませんでしたが、弁理士になることしか考えていませんでしたので、迷いはありませんでした。昼間は事務所で書類作成の補助を行い、夜間は資格試験の予備校で勉強を続けました。4回目の受験で最終合格し、卒業してからちょうど5年後に弁理士になることができました。 大企業から依頼を受けて大量の案件をさばく事務所に在籍していたため、業務に偏りがあり、このまま独立することに不安がありました。そこで、個人・中小企業をお客様とする事務所に更に転職し、種々の業務に幅広く携わりました。独立開業 弁理士になってからは、独立に向け、関連業務の副業を増やしていました。理科大の先輩で元日本弁理士会副会長の弁理士からお誘いがあり、まとまった副業が発生することになりました。これを機会として、2014年7月1日の「弁理士の日」に、埼玉県さいたま市に開業しました。埼玉県における活動も積極的に行っており、2015年度からは、日本弁理士会の埼玉委員会の副委員長を務めております。 開業してから2年目の現在は、副業を減らし、特許事務所の本業を増やしたい状況になります。お客様から少しずつ仕事のご依頼を頂けるようになってきていますが、同窓生からの紹介もありますので、周りに助けられていることを感じています。 最近は、理科大の種々のイベントに出席し、同窓の方々と情報交換を積極的に行っています。同年代の方の出席が少ないことが残念でありますが、諸先輩方とお話できる機会であり、いつも楽しみにしております。(亀崎総合特許商標事務所 代表 弁理士)亀崎 伸宏(平14工・機)

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