理窓 2016年4月号
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26ががんばるんばる同窓同窓金融の世界へ金融の世界へ理科大を卒業して 学部卒業後は大学院に進み、大手金融機関に就職しました。新人研修を経て資産運用部門に配属され、一貫して資産運用部門にて投資業務の経験を積みました。 最初の配属であった株式部投資調査室では、個別企業の業績評価、担当業種の成長性予測など企業分析の手法を習得できたことが後々役立ちました。海外留学と金融危機 会社の海外留学制度を利用して 2008年に米国ニューヨークへ赴任しました。大学院時代の指導教授に、“若いうちに必ず留学しなさい。その後の人生の糧になるから”と強く勧められていたことが応募のきっかけでした。 海外留学といっても大学院ではなく、現地の大手資産運用会社で最先端の投資実務を学ぶトレーニーとして出向しました。日本人が一人もいない環境で当初は苦労ばかりでしたが外国でビジネスを行う上でのコミュニケーションや外国人に対してのプレゼンテーションのスキルを磨くには貴重な体験でした。 一方、2008年9月に起こった米国発の世界的な金融危機(株式暴落と信用収縮)という歴史的な出来事に現地で巻き込まれたことは生涯忘れられません。100年に1度の金融危機とも言われる中、最先端の投資実務を学ぶどころではなく、休みなく働き続ける毎日でした。 大学院の恩師に連絡を取った際、“勉強のやり過ぎで死んだ人は知らないが、仕事のやり過ぎで死んだ方を何人も知っているので気をつけなさい。見方を変えてみれば100年に1度の貴重な経験をしているのだよ。学ぶことは多いはずだ。もっけの幸いだ。”と恩師流の激励の御言葉を頂戴したことを覚えています。海外留学時に身についたのは語学力よりもストレス耐性だったのではないかと思う次第です。外資系金融から理科大の収益事業会社へ 帰国後2年ほどして外資系金融機関の資産運用部門に転職しました。世界30か所以上に運用及びビジネス拠点を構え、グループ全体で30,000名を超えるグローバル企業でした。給与は年俸制でしたが個人で成果を追求するのではなく、チームで獲得した成果を皆で分かち合うという風土でした。スポーツと同じくチームの勝利が最優先で個人の成績だけが評価対象ではないことと同じです。苦楽を共にした海外の同僚との絆は一生の財産となっています。 その後、縁あって2015年6月から母校理科大の収益事業会社に移籍しました。東京理科大学の財政基盤、教育・研究のさらなる強化に貢献するため、収益事業から得られる利益を教育・研究資金として大学に還元すべく、これまでの経験を生かし貢献する所存です。理科大の研究成果を社会に還元 2016年2月に理科大の研究成果を広く社会に還元し社会の発展に寄与すべく、理科大ベンチャーファンドが設立されました。 理科大には事業化可能な素晴らしい研究成果があるだけでなく、ハイテク産業で活躍する卒業生も大勢います。そう遠くない未来に、理科大から米国の大学発ベンチャーで世界的企業に成長したGoogleやFacebookのような企業が生まれるよう、ベンチャー支援事業に力を尽くします。(東京理科大学インベストメント・マネジメント株式会社 代表取締役社長)片寄 裕市(平13経・経)

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