理窓 2016年1月号
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10 司会より大村先生のプロフィールが紹介された後、馬場錬成さん(元東京理科大学大学院教授、現在は科学ジャーナリスト)の進行のもと、大村先生から話をお聞きしました。ノーベル賞への道馬場: 本日は大村先生がこれまで歩まれたノーベル賞への道についてお話いただこうと思います。大村: 以前、アフリカに行ったとき、オンコセルカ症で失明した大人が多く、すごく悲惨な状況でしたが、その後、再び訪れたとき、薬が行き渡り子どもたちは元気に過ごしていました。それを見て、「私は良いことをしたんだな」と実感しました。その成果はメルク社と私どもとの産学連携の賜物であります。理科大の大学院生として馬場: 先生が山梨大学を出て都立の夜間高校の教員になりましたが、そのいきさつをお聞きします。大村: 昭和33年に山梨大学を卒業した後、理科教員の採用があった都立高校の夜間部の教師に着任しました。当時、夜間高校に登校する多くの生徒は仕事で忙しいこともあり、油にまみれた真っ黒な手をしていました。その様子を見て「自分はこれまで何をしてきたのか。しっかり教えられる先生になろう」と思ったのです。生徒への指導力不足を感じ、もう一度勉強をし直そうと思いたち、東京教育大学(現筑波大学)の研修生になり、その後、東京理科大学の大学院修士課程にお世話になりました。馬場: 先生は理科大学大学院のどこの研究室で何を研究されていたのですか。大村: 理学部の化学科にありました都築洋次郎先生の研究室に所属しました。都築先生は世界的に最先端の技術を手掛けていましたので、そこにある核磁気共鳴機器を駆使して有機化合物の化学構造を研究しました。ティシュラー先生、ブロック先生との出会い馬場: その後、山梨大学の助手を経て北里研究所へと進むわけですが、北里研究所に入ってから留学までのことをお伺いします。大村: 理科大では化学を専攻していましたが、山梨大学では発酵生産学科の助手となり、そこで微生物に出会い、魅せられたのです。こうして私がこれまでやってきた微生物と化学の両方を活用した研究をしようと北里研究所に移ったのです。抗生物質の研究がまさにそれだったのです。馬場:その後アメリカ東海岸の名門、ウエスレーヤン大学に留学されますが、それは何故ですか。大村: ウエスレーヤン大学のティシュラ―先生は、当時、世界一の製薬会社、メルク社の中興の祖と言われた方で、定年前に会社を辞めてウエスレーヤン大学に化学の学科を興し、私を呼んで下さったのです。 また、ファイザー製薬の友人、ウォルター・セルマー先生にノーベル生理学・医学賞を受賞したハーバード大学のブロック教授を紹介され、研究のサンプルを送りました。2、3か月後に電話があり、大発見だということで、ブロック先生と共同研究に取り掛かりました。イベルメクチンの発見馬場: 次にイベルメクチンの発見についてお話ください。大村: ティシュラ―先生からメルク社と共同研究をやるように依頼され、研究を始めました。最初の50種類の菌をメルク社に送った翌年にすごい会場 図書館3F 大ホール時間 16:20~17:00

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