理窓 2015年10月号
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38「理窓」が形態を変える 1988年1月(昭和63年)に発行された「理窓」281号の年頭の挨拶で、東京物理学園理事長橘髙重義氏が、『理窓会の会報である、「理窓」が本年4月から形態を変えて、東京理科大学で編集されている月刊の科学教養雑誌「SUT」綴込みで発行されることとなった。内容も格段に増加し、発行回数も多くなることと思う。』と述べている。 この機会に同窓会の歴史を振り返ってみることにする。 東京物理学校に同窓会ができたのは、学校創立7年後の明治22年で、それ以来同窓会の連絡は学校で発行している「東京物理学校雑誌」に雑報として記載され、また時々は色紙の差し込みが行われていた。昭和2年には、「東京物理学校同窓会の会報」として雑誌とは別に発行されることになり、当時の中村校長の直筆による「会報」として第1号が発刊された。爾来 昭和23年第161号まで年3回程度発刊されている。 昭和24年 学制改革で東京理科大学が設置されるとき、東京理科大学同窓会は「理窓会」と名称を変更し、会報として「理窓」を第162号として引き続き発行し、この理窓で第281号になる。 この間、内容、形態ともに時代の影響を受けながら変化し、現在は年4回発行され、同窓会の会報の役目を果たしている。 今回の改革の大きな目的は、この会報を通して会員相互の動静や情報の交換は勿論であるが、大学と卒業生との間の情報の交流を深めて、卒業生と大学との間の強い絆をつくることである。(281号より) 本原稿(復刊の編集③)は紙面の都合で間が開きました。 今回が最終になります。「東京物理学校同窓会雑誌」改名「東京物理学校雑誌」。 「東京物理学校同窓会会報」を「会報」名で発刊。 「東京理科大学同窓会」を「理窓会」と改称。 「会報」を「理窓」と改名。 上記の「雑誌」と「会報」2誌の流れを表にしました。明治22年(1889)4月 東京物理学校同窓会 発足6月 東京物理学校同窓会雑誌 発刊明治24年(1891)同上を「東京物理学校雑誌」と改名明治33年(1900)「東京物理学校雑誌」100号記念号 発行明治、大正、昭和と続く昭和2年(1927)6月 東京物理学校同窓会「会報」発刊昭和19年(1944)「東京物理学校雑誌」休刊 紙不足の為「53巻第628号」まで昭和23年(1948)「会報」年3回程度 第161号まで発刊昭和24年(1949)学制改革 東京理科大学が設置東京理科大学同窓会を「理窓会」と改称「会報」を「理窓」と名称を改名「理窓」は会報162号を引続発刊昭和36年(1961)「理窓」1月号(200号記念として発刊)昭和59年(1984)「東京物理学校雑誌」を「SUT Bulletin」として7月復刊「理窓」7月号270号発行昭和63年(1988)1月号(281号)まで「理窓」として発行、休刊282号から「SUT」端末に4ページ綴込み平成11年(1999)10月号(425号)まで綴込み平成12年(2000)4月号復刊「理窓」426号 発行現在の「理窓」488号として続く。「「理窓理窓」」復刊の編集を担当して復刊の編集を担当して③③編集委員 奥原 千里(31理・化)休刊前の「理窓」281号

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