理窓 2015年7月号
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15・7 理窓373 企業人会での思い出3 企業人会での思い出 22年会の会合中に企業人会に誘われ、初めはゴルフ会を通じて親交を深めておりました。 この会には企業見学旅行があり、毎年現地集合、現地解散の一泊旅行に参加しておりました。 その中で22年卒は平均40%を占めて居り、折角の1泊旅行なら、その前後の旅行を企画したらとの話で、私が企画して大変喜ばれました。 旅行先で囲碁の好きな者が集まり、碁に興じて居りました所、企業人会に文化部を作る話になり、平成9年頃、その部長に推薦されました。 文化部には、囲碁、写真、絵画等があり、囲碁は理窓碁院として発足し、会の助力により内容を充実しました。現在は理窓会の傘下に入り活躍をして居ります。 写真、絵画等は私が会長となり、美術同好会を作り、日帰りまたは1泊旅行を行ない、その成果を2ヵ月毎に倶楽部に展示し、また最近は外部の展覧会場を借りて展示する様な会に発展しています。 その後美術同好会は長島昭明君にバトンタッチし、彼の下で会則を作り、また理窓美術同好会と名称を変更し、理窓会の傘下に入り、現在は更に鈴木博君にバトンタッチされ、今年5月で美術展も100回目となりました。会の将来が楽しみです。4 4 東京都美術館での展覧会について東京都美術館での展覧会について 私はJ.I.A.Cなる美術クラブに平成16年5月に入会しました。この会は東京都美術館で永い間展覧会を開催して来た伝統ある美術クラブです。会場も約760m2と広く、国際色豊かな展覧会を毎年開催しております。また美術同好会の会員も数名参加しております。 この会は33回の時に会長が体調を崩し、私にバトンタッチされ、以後悠美会と名称を変更しました。私が理事長に選出され、2期務め現在顧問になり後進を育てています。5 卒業後の就職について5 卒業後の就職について 卒業後東京物理学校から理研関係の会社への就職の推薦がありました。面接で話を聞く内に理研が開発した合成酒を造る理研醗酵工業(株)のトップがパージにあうのではと恐れ、別会社を起こすために、技師として推挙されたのです。 新会社は何を造っても良いが、親会社は酒精用アルコールを造って居り、その関連会社より香料の原料となるフーゼル油が、全国より自由に入手可能な立場にあり、また戦争中純度の高い金属マグネシウムをストックしていましたので、その原料を用いて香料を造る事となり、隣に研究室を作りました。2~3年して理研の所長であった大河内先生より許可を受け、理研香料工業(株)と社名を改め、蒲田に工場を造りました。手初めに20段の回分式蒸留器を設計し、近隣の町工場と共同して2基造り、フーゼル油を蒸留し、主にイソアミールアルコールを分取し、製薬会社に販売し採算を得ました。 また森永製菓よりバターフレーバーの注文がありその一成分のジアセチルを合成し、その精製にはガラス製の十段式蒸留器を造り純度の高い製品を作りました。この事は森永製菓が戦後初めてキャラメルを販売するに当り、新聞紙にその匂いをつけて宣伝した事は画期的な事と感動した事を覚えています。またマグネシウムはベンジルクロライドと無水エーテル中で反応させ、以後アセトン及び無水酢酸と次々と反応させ、一気にジメチルベンジルカルビニールアセテートの量産化に成功しました。これは他の香料会社に先駆けて成功した事であり、実に痛快の極みであります。豊島園での運動会豊島園での運動会

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