理窓 2015年7月号
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3115・7 理窓ががんばるんばる同窓同窓HONDAバカ、F1バカ 私が東京理科大学への入学を考えた理由はただ1つ。『どうすればHONDAでF1(エフワン:フォーミュラー1)のマシン開発に携われるか』でした。そのためにはまずHONDAに入社できなければ話にならない、そう考えた私は高校当時、インターネットなど全くなかった時代に、とにかくどれだけHONDAに入るための間口が開かれているか、どれだけ入社実績があるか、を調べるために各大学の就職情報等を片っ端から漁ったことを今でもよく覚えています。 何とか首尾よく機械工学科へ入学を果たしてからは、Ⅰ部体育局剣道部での部活動、金属部品加工業者と自動車エンジン修理工場のアルバイト掛け持ち、学業とをフル回転させていたためか、気づいたら4年が終わっていたという印象です。最終的には大学院へ進学し、就職活動を経て何とかHONDAへ就職することが叶いました。そして、嘘のようで、やはり今でも誰に話したところで「盛った話」としか思われないのですが、HONDAに就職し、配属となったのがまさかのレース開発部門。まさにHONDAバカ、F1バカの一念が岩をも通したのです。中小企業の「ものづくり」の素晴らしさ 配属以降、3年間はCART(現INDY、アメリカンモータースポーツ)に、その後6年間はF1に、いずれもレースエンジンの研究開発に携わりました。考えてみると、ただレースのことだけを考えていればいい、それこそ夢のような8年余りだったと思います。その間、最も感銘を受けたことが、日本の中小企業の持つ「ものづくり」技術の素晴らしさです。レースエンジンは、最高の性能と過酷な使用環境に耐えうる耐久性の両立が求められ、それらが超短期の開発サイクルで展開されるため、構成部品には極限のQ(Quality:品質)D(Delivery:納期)が求められます。正直、開発している側も無理を承知で製作依頼しているものも稀にあります。そうした無理難題をも解決し、我々の要求に叶う製品を短納期で実現してもらいました。そういった意味ではHONDAのレースエンジンは日本の中小企業によるものづくりの粋の結晶とも言えるかもしれません。ご恩返し リーマン・ショックの影響により、2008年12月5日、HONDAのF1参戦活動は突然の終幕を迎え、HONDAバカ、F1バカの一念も一つの区切りを迎えました。 現在は、好きなことを好き勝手にやらせてもらった中で、育ててくれた中小企業に少しでも恩返しをしたいという想いから、おこがましくも色々な関わりの中でものづくり中小企業の振興に力点をおいて活動を展開しており、いろいろな意味でようやく地に足がついてきた印象です。こうした活動の下地は就業の傍ら当校のMIPに2年間通い、技術のアウトプットをいかに経営に活かすかについて学んだことも大きかったかと思います。一方で、企業に属していると外の情報はなかなか得られるものではなく、情報収集の機会もそう得られるものではありません。現在、私は理窓OBで組織された理窓ビジネス同友会、理窓技術士会に所属していますが、これまで多くのご経験を重ねて来られたOBの諸先輩方と交流が図れ、諸先輩や同世代と立場を超えたネットワークの構築も図れる理窓会の組織は、気軽でありながら非常に良質のコンテンツであることを、会合等に参加させていただく毎に思いを深くしています。 今までを振り返るにつれ、私は生き方の術を東京理科大学から学んでいるといっても過言ではないと思います。今後も理窓会と上手く関わることを1つのモデルとして自らが築くことで、後に続く方々の参考に少しでもなればと思います。技術士事務所G-POCKET山地 真吾(平9工・機)

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