理窓 2015年4月号
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2315・4 理窓味方の存在 卒後まもなく、遠いはじめての土地に住み始めた頃のこと。知り合いは誰もいないし、日々の仕事だけの生活では全然ぬぐえなかったのが何と申しますかいわゆる「物足りなさ」でした。そんな時にどこからともなくスッと手を差し伸べてくれたのは「理窓会」と「バスケ」という味方です。 バスケは学生時代からずっとやっていたから、別に上手くはないけれども「こんにちは、混ぜてもらえますか?」と飛び込みで伺って、初対面でも案外気軽に迎えてくれる。 それ以上なのは、この理窓会。まずはその場に伺えばいいだけ。私はたまたま経営学部の新設1期生のため、かつて20代の頃は「経営?」なんて理窓内における認知度ゼロに近いながらも、そんなのは全く関係なくて、出会った素敵な先輩方が、恐縮ながらまるで本当の親族かのようにも思えてくるのです。実は最初は… 現在仕事は、独立してウェブサイト制作や関連のサービスをしております。昨今ではスマホやタブレットによる閲覧が圧倒的に多いので、どんなサイズの端末やデバイスにも自在に自動的に対応できるシステムの構築をと依頼いただくケースが主に増えています。 でも実は最初は、あろうことかスキルなしコネなしから始めたため、当然のごとく苦労のスタートながらも、それらを支えてくださったのも既述の同じ味方、理窓の先輩方です。「ホームカミングデー」や「理窓からくり会」がきっかけで、正直に申せば私の人生は変わりました。新しい仕事の経験と自信が殆どなかったこの不束者をやさしく育ててくださり、おかげでまさに今があります。x軸、y軸以外に必要なこと このようにさんざんお世話になっておきながら、非常に反省している点があります。それはかつて30代前半の頃、相次ぐ転勤や中間管理職によががんばるんばる同窓同窓『がんばる仕事と『がんばる仕事と  理窓のふしぎな関係』  理窓のふしぎな関係』る多忙に負け、しばらく理窓会に出席する機会を失ってしまったことです。振り返ればその頃の視野はとんでもなく狭く小さなものとなっていました。身体も部分的に壊し明らかなイエローフラッグ。 幸いピンチを乗り越え、大きな迷惑かけずしてやがて自立に至ることができましたが、長い人生、有意義な時間を過ごすためには例えばマトリックス的な、別次元の感覚や味方も必要なんだと強く感じました。 ここでちょっと箸やすめ的な話、飲んだ席等では冗談やおもしろいお言葉で、耳の痛い事まで鋭くツッコまれることも。でも社交と全然違い、理窓は常にノーストレスで心嬉しく、だからこそ逆にハッと気づき、そのことで自分自身を冷静に俯瞰し改善することができます。まるでお釈迦様かビリケン様にでもお会いしているみたいに。 尚、理窓会再加入の手続きは、ネットで調べてすぐに申請することができました。「温故知新」 40歳、会では「若い」とお褒めのような言葉を沢山頂戴いたします。私は、大先輩の方ほど気楽にお越しお集まりいただける雰囲気も、一層大切なように常々感じています。 自身の反省から、年代の近い同窓はどうしても異動や変化が多いので、昔ながらの親しい友人にもあまり言えてません。でも全国そして海外のあちこちにどんどんこの理窓会ネットワークが拡がっていること至極ありがたく思います。人生いろいろ個人差ある中でふと気づいた時、いつどこにでもふれあいとあたたかさがあるという環境こそ、真の財産だと感じてならないのです。 「たのしむ同窓」。仕事もちろんそれと共に、活動やイベントを通して理窓でも一層精進し、やがては先輩方のように、後輩を大切にできるひとりになりたいと志しております。追矢 修司(平9経・経)

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