理窓 2015年1月号
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15・1 理窓35電子顕微鏡見学会 学内掲示板に日立電子顕微鏡見学会参加者募集の掲示があり、参加することにしました。 岩水先生のリードで30人ほどが国立駅に集合し、日立中央研究所へ向かいました。此処では東大へ納める国産電子顕微鏡の2号機の組立調整を行っていました。2階建てほどもあるようなアングル枠に円筒が取り付けられていました。ここのリーダーは只野さんでしたがドイツへ出張中で助手の方から種々説明を受けました。只野さんは後日この研究所の所長になりました。(助手の方は物理学校卒とのことでしたが申し訳ないがお名前を失念しました)。サンプルは蝶の鱗片を8000倍に拡大したもので、解像度・コントラストとも素晴らしいものでした。後に会社に勤め、大気汚染のエアゾールの測定で電顕を使うようになりましたが、もう少し進歩した型でデスクタイプに小型化していました。授業・テストについて 3年の間に好きになった授業は光学関係です。光学に関する授業は幾何光学と電磁光学の二つがあり、幾何光学は岩城硝子の研究所長会田軍太夫先生で電磁光学は東大の筒井先生でした。先生は東大の授業と殆ど同じ内容を講義したつもりですと最後を結ばれました。最後の試験問題は、「幾何光学の屈折率と電磁光学の屈折率が等しいことを証明せよ」というもので、大変難解なものでした。試験問題用紙の表だけでは書き足らず、裏面に及びましたが最後まで説明ステップを進められず時間切れでした。実験について 偶々、相対性理論の本の間に偶然実験計画表があったので紹介します。 基礎的データーの測定がほとんどですが当時測定器は大変貴重なもので、たとえばガルバノメーターは両手で持てなどと厳しい指導がありました。実験設備的には夜明け前という状態で、半導体・原子力・石油化学・バイオ等々まだ体系つけられておらず、分析はコルベンワークの時代で、機器化が始まろうとしていたが、我々の行う実験は基礎データーをとる断片的なものでした。卒業と就職について 卒業できるかどうか判らないのに就職活動に入りました。時計の修理その他で収入が多少ありましたが、光学関係が好きなので、カメラメーカーへの就職を目標にしました。偶々友人の金沢氏の住まいの近所にUさんという方がおり、キヤノンに配属将校として板橋レンズ工場に勤務していましたが、終戦後は其の儘勤務を続け、係長になっていました。10月から何度か訪問お会いし役員・部長とも面接を受け、4月以降の入社が約束されました。しかし、3月になり今年度は学卒不採用とのことになり、些か慌てましたが学校の紹介で横浜の中学校に理科・数学・工業等の担任で教員となりました。2年で教員はやめ一般企業に勤め変えをしました。 以上断片的な思い出話になってしまいましたが時の流れの速さには驚くし、60数年の間の科学・技術の変革進歩は目を見張るものがあり、用語を知るだけでも大変な努力が必要です。恩恵は受けていますが、死ぬまで勉強が必要なことを感じています。実験項目表(裏表に印刷され当時の物資の貴重さがわかる)実験項目表(裏表に印刷され当時の物資の貴重さがわかる)

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