理窓 2015年1月号
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34 六十数年前の事なので断片的な思い出話になってしまいますが、3年の間の幾つかの思い出を記してみます。担任教授 我々の主任は伴五紀先生でしたが、ある時一冊の本を見せて、興味があれば読んでみよ、とのことで、「相対性理論概説」と言う本が紹介されました。アインシュタインについて知りたいと思っていた私は早速購入、読んでみましたが、ニュートンの力学から特殊相対性理論・一般相対性理論までを説いていましたが、難しかった記憶があります。数年前、先生にお会いした折、この本の話をしたところ、先生が初めて出した本で、かなりやさしく書いたつもりだがとのことでした。東京物理学校東京物理学校のの思思いい出出⑤⑤私の物理学校私の物理学校 物理学校物理入学前の状況に少しふれることにします。 私は、昭和19年中学校を卒業し、2、3大学受験をしましたが、すべて不合格でした。なぜか物理学校受験は考えませんでした。後日知ったことですが、同級生の一人が物理理学校へ入学したものがいました。当時は浪人をしていることはできず、働いていても軍需産業に直接拘っていないと、徴用によって何処へ派遣されるかわかりません。私は伝手を求めて日立航空機大森発動機製作所へ勤めることにしました。この工場は滞空時間の世界記録を作った航研機のエンジンを作った会社ですが、当時は練習機(赤とんぼ)のエンジンの製造を行っていました。しかし、製造設備の殆どがアメリカ製のものでした。その後戦争も終わり、家でぶらぶらしてもいられないので、近所の時計の修理をしている方に弟子入りし、時計修理の指導を受け、骨董品扱いの手伝いを行いながら独立の形をとりました。しかし、米兵の持ってくる時計は中三針で、形のいい外見だがかなりの部分が分解不能の構造で、これを見たとき軽工業の将来が見えた気がし、いろいろな意味で学問・勉強の必要性を感じ、大学へ行くことにしました。 昭和22年、入るのは容易だが出るのは大変という東京物理学校2部理化学科を受験しました。かたちばかりの筆記テストがありましたが、入学することできました。長島長島  昭明昭明昭和25年昭和25年  理化学部卒理化学部卒理化学科一同の記念写真理化学科一同の記念写真伴先生の著書「相対性理論概説」

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