理窓2014年10月号
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14・10 理窓41 同窓会誌「理窓」の発刊・発行について、わかり易く説明するよう、注文を受けました。 前号の説明不足をお詫びいたします。 昭和2年(1927)東京物理学校同窓会の〝会報〟として、「東京物理学校雑誌」とは別に発行されています。東京物理学校の同窓会 明治22年(1889)4月に東京物理学校同窓会が発足。その年の6月に「東京物理学校同窓会雑誌」第1号が発行されている。 明治24年(1891)12月、同窓会雑誌を改題し「東京物理学校雑誌」が発刊された。(1号)同窓会の連絡は、雑報として記載され、また時々は色紙の差し込みが行われていたと記録にある。 明治33年(1900)「東京物理学校雑誌」100号記念号が発刊された。 大正に入り、物理学校同窓会は、物理学校維持会より学校の維持経営を委譲される。 「東京物理学校雑誌」は昭和19年(1944)紙不足のため「53巻第628号」で休刊となる。「理窓」の前身、東京物理学校同窓会の「会報」 昭和2年(1927)6月東京物理学校同窓会「会報」が発刊された。 当時の物理学校第三代中村恭平校長の直筆による「会報」第1号が発刊。 爾来、昭和23年(1948)第161号まで年3回程度発行。昭和24年(1949)学制改革で東京理科大学が設置され、このとき東京物理学校同窓会は「理窓会」と名称を変更し、会報として「理窓」を第162号として引き続き発行。「理窓」200号記念号 昭和36年(1961)1月号が200号記念になる。(右図) 「200号記念号の〝発刊を祝して〟」の挨拶、同窓会理事長清水荘平氏(北辰電気製作所所長)は、『幾星霜を経て私たちの会報「理窓」は目出度くここに第200号発刊の運びになりましたことは誠に感慨無量であります。/顧みれば、会報は最初東京物理学校雑誌の巻末に少しばかりの記事を載せる程度で出発しましたが、昭和2年からようやく独立して発刊されるようになりました。/然るに昭和12年支那事変が起り、それがますます拡大するに及び紙の統制その他の理由に依り遂に東京物理学校雑誌は昭和19年休刊の止むなきに至りました。そして会報は貧弱ながら細々と発刊を続けて参りました。/戦前戦後の困難な事情を克服して今日まで切り抜けて参りましたことは、先輩各位の御努力の結果で誠に感謝にたえません。』と述べています。「理窓」の表紙 現在、事務局に「理窓」の合本は、昭和35年(1960)1月号(第197号)から、平成25年(2013)1月号(第477号)まで53年分が7冊に合本されています。 残念なことは、昭和35年以前の発行物が有りません。(昭和2年~34年)の「理窓」がお手元に有りましたら、コピーで結構です。ご提供下さい。よろしくお願い致します。 第197号~第238号まで表紙は上図の形態です。 昭和49年(1976)10月号No.238からカラーの表紙に変身しました。以後、昭和63年(1988)1月号No.281まで、カラーの表紙です。4月号以降は4ページ仕立SUTの後頁に掲載、昭和63年(1988)4月号~平成11年(1999)10月号第282号~425号までが〝理窓〟としてのページであった。昭和62年会費の改訂について(次号)「「理窓理窓」」復刊の編集を担当して復刊の編集を担当して②②編集委員 奥原 千里(31理・化)

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