理窓2014年10月号
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14・10 理窓393式戦闘機=飛燕の整備に携わった事などの貴重な体験でした。《久悟会=20理化同期会》 昭和58年10月に38年振りに同期生の集いが開催されました。卒業は8月15日終戦直後の混乱期で(註*終戦の詔勅‐所謂玉音放送は4階一部5階建ての校舎の中庭で拝聴した)卒業式にも出席出来ず、卒業証書を受領しなかった者も居た当時であったので名簿も見当たらなかったが、卒業証書台帳により何とか案内状を発送した。その席上で会の名称を物理学校95回卒(2回の年もあった)に因んで〈9=久・5=悟〉久悟会とし、連絡場所を理学部関川俊男教授の研究室に置く事とした。(註*関川俊男君は近代科学資料館の初代の館長です。資料館には物理学校の特別展示室あり) 発足時の世話人は9名でしたが、現在も健在の方は安盛岩雄君のみで、「理窓482号2014/4」の《東京物理学校の思い出》を執筆されました。 その後、久悟会は毎年開いており、現在は小生が在京幹事を務めており、毎年のHCDには同窓会出会いの広場に〈団体〉として参加しております。 尚、当会は母校の維持拡充資金に応募、葛飾キャンパス開設記念碑建立にも寄付し、それぞれ顕彰団体となっております。《余談=奇縁》 私的な事で恐縮ですが、愚妻が高等女学校在学中に勤労動員で働いていたブラウン管製造の工場の同じ職場に物理学校生が数人いたとの事でしたが、それがなんと20理化の同期生だったのです。全くの<奇縁>には驚かされました。 尚、愚妻は我々が参列した昭和18年10月21日の出陣学徒壮行会にも出席しております。[あとがき] 卒寿に達した小生は戦時下の物理学校生として、後輩の方々には想像も着かない貴重?な体験を致しましたが、母校の現状に鑑みて((我が青春に悔い無し))の心境です。

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