理窓2014年7月号
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14・7 理窓37 現在の「理窓」は、2000年4月(通巻426号)から、「SUT Bulletin」から分離独立して、同窓会誌(機関誌)として出発した。 1998年(平成10年)理窓会再編へ向け、3部門の諮問委員会が設置された。(「組織」「会則等」「広報」各諮問委員会で支部の意向などを聞き、検討を重ねた) 1999年(平成11年)2月、各諮問委員会が答申。常任委員会が答申を受け、再編に向けての結論を出した。平成12年4月、財政確立の具体策が最優先で、理窓会の正会員年会費を3,000円に決定した。(前年度会費6,000円から3,000円に変更) 広報諮問委員会が、会報をSUTと分離し「理窓」の単独発行を決定したのは8月の幹事会で、形態、内容等の基本方針が固った。「理窓」を作成するための編集委員会を組織し、具体的活動を始めた。復刊1号2000年4月号通巻426号、本文16ページが発刊できたのは、5月に入ってのことであった。当時は、何とか発刊できればという段階で、会長をはじめ役員の方々の協力で発行できたのである。 次年度からは、同窓企業に協力をいただき、カラー版の企業広告を始めた。これによって「理窓」発行費の実質的低減をはかることができた。東京物理学校同窓会誌 明治22年に東京物理学校同窓会がつくられ、その年の6月「東京物理学校同窓会雑誌」と銘うった雑誌を発行している。明治24年に「東京物理学校雑誌」と改名、昭和19年3月628号まで続けられた有名な雑誌で、当時は、非常に権威を持った雑誌として社会から評価されていた。 昭和19年まで刊行され、卒業生と学校との間の強い絆と理学の普及の役を果たしていた「東京物理学校雑誌」は第628号で休刊されていた。1984年(昭和59年7月)「SUT Bulletin」として復刊 昭和59年から昭和63年の4年間発行されたが、経費がかかり卒業生から費用を求めるため年会費が値上げされた。当時の記録に年会費6,000円の内、理窓会の活動費は800円程度で後はSUTの費用だったと記載されている。 1988年以降2000年まで12年間、それまで年3回発行されていた「理窓」は「SUT」の後ろに4ページ掲載となった。1998年(平成10年)の「理窓会」の現状 同窓はすべて「理窓会」の会員であるが、会費を納入した者を正会員と呼び、3年間会費納入者の中から、全国から155名の幹事が選出された。幹事による選挙で、16名の役員・常任幹事が選出され「理窓会」の運営を行っていた。 1988年(昭和63年)、1,200円の会費が6,000円に値上げされ、2万人の会費納入者が約6,000名に減少した。活動費が不足し、会員数を増やすため、諮問委員会が設置され理窓会再編へ向け、答申を実行に移した。 「理窓」の復刊1号2000年4月号(通刊426号)が発行された。 (以下次号へ)「「理窓理窓」」復刊の編集を担当して復刊の編集を担当して編集委員 奥原千里(31理・化)

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