理窓2014年4月号
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28新社会人に望むこと「自らを真の学びに浸すべく  見ゆる限りをしたたかに見む」 正岡子規の痛みに比べれば、私の痛みなど、と言いながら、病室のベッドの中からかすかに見える庭の一角を眺めて、ある人はこう詠んだ。子規には遠く及ばないが、自分も最期まで学び続けたいと切実な思いをもってこの歌を詠んだのである。子規が病魔と闘いながら学び続け、新しい日本の短歌を作り上げようとした姿を見習いたいと、病の床から目を凝らしたに違いない。 小さいころ、この人の姿を見て育ったことが、私を教師にしたのかもしれない。といっても、私が小学生のころには、この人は教師をやめていた。教師になったのは、小学校、中学校で出会った二人の先生のおかげだろう。◯数学が苦手だったけれど 私は本当に計算が遅かった。隣に座っている女子から「まだできないの?」と馬鹿にされるほどだ。そんな私を小学校の担任の先生は辛抱強く指導してくれた。計算は遅いけれど、やった問題は間違えないとほめてくれた。計算の苦手な私がなぜ数学の教師になったのか、自分でも不思議でならない。今考えると、計算が苦手だから、計算するのが嫌で、何とか工夫して計算を楽にしたいといつも考えていたように思う。そのことが私を算数好き、数学好きにしていったのかもしれない。 中学校の数学の先生は方程式の解には「不能」も「不定」もあると驚かせてくれた。数学が大好きな先生だから、驚きとともに楽しさを教えてくれたのだ。その先生がとてもスマートに思えた。 これらが私を教師にした大きな理由の一つなのだと思う。◯心に残る一言 俳優の財津一郎の思い出話が心に残る。高校時代、いじめられていた彼に、冬の麦をザクザクと踏みながら先生が話しかける。麦は踏まれて強くなる。今お前をいじめているやつらには未来はない。財津、いじめられているお前にこそ明るい未来がある。財津さんは、泣きながら、先生と一緒に麦を踏み続けたそうだ。 この先生は、私の父である。財津さんがこの話をテレビで語ったとき、父はこの世にはいない。財津は教え子だったと言っていた父がこの話を聞けば、涙を流して喜んだに違いない。教え子の心に残るということは、教師にとって究極の喜びなのだ。 そして、生徒の心に残った言葉や先生の姿が教師を目指す理由の一つになり、新しい教師が育っていく。理科大出身の先生が理科大出身の教師を作り上げていく。こんな素晴らしいことはない。皆さんも、理窓会を大切にして、後輩を育てる教師になってほしい。◯それがプロフェッショナル 「人は生き死にに関わるような人生の大事件にでもならんと、気持ちは変わらんよ。でも、変わる方法は他にある。それは、教育だ。教育とは、耳元でささやき続けることだ。」と言った人がいる。じわじわと心に響いて、いつの間にかその人に影響を与えている。本当はやらせているのだけれど、本人はやらされていると思っていない。その様な教育ができたら最高のように思える。人を劇的に変化させる一言を語ることのできる教師、また、本人も気づかないように一つの言葉をしみこませることのできる教師、その様な教師になりたい。それが教えるプロである。 同時に、学ぶプロでもあってほしい。専門教科はもちろんであるが、他人の人生に関わる仕事に就く以上、より多くのことを、より多くの人生を学ぶべきだ。理科大のネットワークを最大限に活用し、先輩に学び、本に学び、経験に学ぶ。そして、死ぬまで教師であり続けてほしい。いつでも、「私は教師である」と胸を張って言える人であってほしい。自らを真の学びに浸し、したたかに、プロを目指してほしい。教職に就く皆さんへ教職に就く皆さんへ~見ゆる限りをしたたかに見む~~見ゆる限りをしたたかに見む~東京理科大学 教職支援センター 東京理科大学 教職支援センター 教職課程支援室 高橋伯也高橋伯也(49理・数)(49理・数)

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