理窓2014年4月号
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14・4 理窓27『坊っちゃん賞』を受賞して 株式会社日本レジストリサービス東田 幸樹(52理・応数) この度は坊っちゃん賞という栄えある賞をいただき、感激しております。 理科大時代から企業経営者として今に至るまでのコンピュータネットワーク、そしてインターネットの発展に取り組み続けてきたことへの評価をいただいたとを大変嬉しく思います。これも共に努力した仲間たち、そして私を支えていただいている方々あっての受賞だと思っております。この場を借りまして、皆様へ深く感謝申し上げます。 私がコンピュータネットワークの可能性を実感したのは、情報処理センター(現在の総合情報システム部の前身)に所属していた1985年のことでした。 当時、日本IBMと共同で、理科大とニューヨーク市立大学の大型コンピュータ同士を接続するプロジェクトが立ち上がり、私が日本側の技術責任者になりました。その頃既にアメリカではBITNETというIBMのコンピュータネットワークが形成され、これに日本で初めて国際接続をすることになったのです。 1985年4月30日に、初めてメッセージ交換ができたのですが、この時の嬉しかった気持ちは今でも鮮明に覚えています。地球のどこにいても、コンピュータネットワークを介することで瞬時に情報を共有できるということが、この先の社会を大きく変えるに違いないと実感した瞬間でした。この感動が、私がその後、コンピュータネットワークを広げていく原動力となりました。 一方で、インターネットの利用に欠かすことのできないドメイン名とIPアドレスの管理を行う組織が必要という認識から、JPNIC(日本ネットワークインフォメーションセンター)を設立しました。この組織運営の中で、私は多くの関係者とともに日本のインターネットとそのコミュニティの成長・発展における中心的な役割を果たすことができました。 理科大でのインターネット活用にも取り組みました。学生全員に電子メールドレスを持たせたり、学生個人のウェブページを公開したり、インターネットで入試の合格発表をしたりと、理科大は「日本初」を目指した先進的な取り組みをいくつも行いました。 2000年12月に、JPNICが株式会社日本レジストリサービス(JPRS)を設立してドメイン名事業を移管することになった際、理科大を離れ、JPRSの社長に就くこととなりました。大学の教員から企業経営者となることは自分自身予想もしていなかったことですが、インターネットの将来のために自分がやるべき役割がそこにあると信じて飛び込んだのです。今年JPRSは設立14年目になりますが、JPドメイン名のサービスを提供するだけでなく、インターネットの根幹であるルートDNSサーバーの運用を担うまでになりました。設立以来ずっと信頼性と安定性を第一に考え、社員とともに日本と世界のインターネットの基盤を支えることに尽くしてきました。 今、こうして振り返ってみると、理科大でネットワークの最先端の仕事に携われたことが、私にとってとても大きな財産になっていると改めて感じています。 この度の坊っちゃん賞受賞を機に、今後もより一層、インターネットの発展に尽力すると共に、理科大の名前、そして受賞に恥じぬよう活動を行っていきたいと思います。

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