理窓2014年4月号
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14・4 理窓25「坊っちゃん賞」を受賞して 青森県立三沢航空科学館 館長大柳 繁造(31理・物) 「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」と、夏目漱石の名作「坊っちゃん」の冒頭にあるように、私も、これまで人のやらないことばかりやって、損ばかりしてきたようです。やるとなれば、損得など考えないところがあります。十和田湖の湖底からの旧日本軍機引揚の時もそのようでした。平成11年3月の第一回目は失敗、翌12年8月には何とか成功して70年ぶりに引揚の成功となりました。機体に描かれた鮮やかな「日の丸」マークが湖面に現れたときには、ギャラリーから「おぅ!」という感動の声が湧き上がりました。「日の丸」の色彩が驚くほど鮮明だったからでした。 今になって省みますと、私のまとめた小冊子「縁えん欠けつ不ふ生しょう」にあるように、「ヒト」と「ヒト」との連続してつながった「ご縁」によって引揚が成功したものと思っています。その経緯は、細いけれども、紡がれた強靭なワイヤーのような関係で結ばれていた。今となっては真に不思議としかいえない出来事の連続が重なって出来たものでした。しかも、湖底の深度57米というダイバーにとっても微妙な深さを克服して、引揚が成功したことは参加関係者の皆様のご尽力の賜物と思っています。 夏目漱石は、明治以後の日本の近代文学を確立した存在ですが、晩年、“脱亜入欧”路線をひた走ってきた明治政府を、「皮相上滑り文明開化」だと痛烈に批判しました。漱石は、失われてゆく日本の伝統精神を惜しんだ一人でした。私も、かねがね旧日本陸軍機が十和田湖底にあることは周囲の取材活動をして判っていまして、せめて水中写真だけでも撮りたいものと活動をしていました。戦前・戦中の日本の航空技術が結集された「航空遺産」がまったく失われている中で、湖底にあるこの機体は貴重な存在だと思っていました。十和田湖底の旧日本陸軍機の発見が伝えられていたにも拘らず、国も県も市も一瞥もしませんでした。湖底という淡水の中にあったため、奇跡的な保存状態であった機体の引揚は、是非とも「日本の航空遺産」として引き揚げなくてはと決心し、発見者である水中探査会社「ウィンディネットワーク」(静岡県下田市)と機体引揚会社・海洋土木会社「青洋建設」(青森市)とのボランティア協力の下に引揚げ作業に取り掛かることになりました。我々は昭和「ヒト」桁生まれの日本人としての「男のロマン」を感じていました。この経過については、拙著「縁えん欠けつ不ふ生しょう」で詳細に亙って記述しております。ご興味のある方は、お申し出で下されば、頒価(1500円)にてお送りしたいと思っています。この機体は、現在、湖底にあったときと同じ状況のまま、青森県立三沢航空科学館に展示されている状況ですので、ご覧くだされば幸いです。 当館は、昨年夏に創立10周年を迎え、本県航空史に纏わる航空機のレプリカ(復元機)を中心に展示されていますが、主なものとしてわが国唯一の世界飛行記録樹立機である旧東京帝大航空研究所の「航研機」(昭和13年長距離周回飛行世界新記録達成、当県出身者・木村秀政;設計・藤田雄蔵;操縦・工藤富治;製作が関係)をはじめ、草創期の民間機「鳳号」、「旭号」(本県出身の民間プロ飛行士第一号・白戸栄之助操縦)、「零戦21型」、「YS-11」(戦後わが国初の国産旅客機)。更に、ル・プリエール・グライダー(わが国初の飛行実現)「坊っちゃん賞」を受賞して「坊っちゃん賞」を受賞して

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