理窓2014年4月号
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14 古道、街道、ロングトレイルを辿ることがブームになりつつある。歩くということが、最高の健康法であると認知されたことの証左と言っていい。自宅周辺をぐるぐる回るウォ-キングも悪くはないが、三日坊主で終わってしまいそうである。なにかを長続きさせるには目標があったほうがいい。ということで、今回は熊野古道歩きを紹介したい。 我が国最大の半島である紀伊半島の南端に位置するのが熊野だ。「くま」には「隅」とか、「端」という意味もある。だから南端、だから熊野、南端だから熊野は遠い。「くま」には神様という意味もあって、昔の人たちは熊野は「神様のこもるところ」と考えたようだ。いつの頃からか、本宮大社、速玉大社、那智大社と呼ばれる熊野三山が祀られるようになった。詣でるには遠くて、難行苦行を強いられた分、御利益が大きいと信じられたのではあるまいか。宇多上皇に始まる熊野御幸は「蟻の熊野詣で」と、はやされるほどのブームを呼ぶことになる。 京都から淀川を下り、窪津(現天満橋付近)で上陸、海沿いに歩く。紀伊田辺から山中に分け入っていくのが中辺路で、熊野古道の代表的なコースとなる。平安時代のお公家さんたちは、中辺路を辿って本宮大社に詣で、熊野川を船で下って速玉大社に詣で、新宮から那智へと海辺を辿ってから再び山中へと入って那智大社に詣で、大雲取り小雲取りを越えて本宮大社から往路を引き返すようにして、京都に戻った。熊野三山詣では往復約700km、踏破するのに、20日から25日間くらい要したらしい。現代の我々には時間がないから、中辺路のハイライト部分、滝尻王子から本宮大社までをご案内しよう。1日目は紀伊田辺に泊まり、2日目、駅前からのバスで滝尻まで行き、五体王子の一つ、滝尻王子に詣でてから歩き始める。 王子というのは、熊野の神様の子供の神様と考えるのが一般的だが、沖縄では海の神様をオウチと呼ぶので、そこから来たという説もある。熊野三山の出張所みたいに考えると、分かり易い。昔の熊野詣ででは、各王子で休憩したり泊まったりしていたという。淀川から上陸した窪津王子に始まって、たくさんあるから「九十九王子」という呼び方もある。 ぼくは自分が主宰する無名山塾の中に、「遠足倶楽部」を併設した。無名山塾は岩登り・沢登り・雪山登山のための基本を学ぶ登山学校。遠足倶楽部は中高年を対象にした一般コースで、山を学ぶ登山教室である。熊野古道の名前だけは知っていたが、積極的な興味は抱いていなかった。いま週末ごとに歩いているという、奈良在住の山塾会員から熊野古道の魅力を聞かされて、遠足倶楽部の登山教室のコースに取り上げてみようかな、という想いが胸をよぎった。いきなり中辺路は自信がなかったので、まずは大日越えをマナ板の上に乗せてみた。小栗判官と照手姫の物語で知られる湯ノ峯温泉に泊まり、大日越えで大斎原に立ち、本宮大社に詣でるというプランである。実際歩いにがいい。紹介したい。大社に詣で、新宮から再び山中へと入って那智雲取りを越えて本宮大社かうにして、京都に戻った。熊野700km、踏破するのに、20日からの我々には時間が熊野古道・中辺路熊野古道・中辺路山は健康の源(17)山は健康の源(17)岩崎岩崎  元郎元郎

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