~約束の最高峰~ 夢のエベレストに挑戦して!!

1 山との出会い

私と山の出会いは父親の仕事(営林署)の関係が一番であった。昭和32年4月12日北海道名寄市で次男として生まれた。その後、父親の転勤で4歳から6歳まで利尻島に住んでいた。私が初めて山らしい山に登ったのが4歳の夏、利尻岳(1,716m)に父親に手を引かれ、おんぶをしてもらい頂上に立ったのが最初であった。その日は、天気が良く、山頂から稚内、樺太等を臨むことができ、子供心に自然の素晴らしさを感じた。小学校4回、中学校1回、高校1回の転校先で道内の山々を父親と登った。

2 学生時代

学生時代は、勉強よりアルバイトをしてお金が貯まると登山にのめり込み、国内の山々を走破した。山に行かない時は、授業後学校からトレーニングを兼ねて武道館近くの石垣でクライミング練習、千鳥ヶ淵の周りをランニングしていた。将来の夢がエベレスト挑戦。理大生としては超落ちこぼれであったと思う。

3 教員時代

昭和60年に岩手県の教員に採用され、宮古水産高校を皮切りに、平舘高校、盛岡南高校での教員時代が始まった。各地の赴任校で、生徒に数学の楽しさ、登山の魅力を伝えた。指導者としては平舘校時代1999年の岩手インターハイで登山男子縦走優勝、盛岡南校時代の2006年には神戸国体山岳少年男子縦走で県勢初の全国の王者に輝くことができた。50歳のころ、体力があるうちにエベレストの夢を追おうと退職を考えたが、同時期に冒険家の三浦雄一郎さんが70歳でエベレスト登頂に成功。「気力と精神力があれば年齢は関係ない」と思いとどまった。

4 先生、エベレスト登るぞ

平成30年3月末盛岡南校の退任式で「勇気を持ち一歩踏み出そう。行動を起こさなければ何も始まらない」と教え子たちを激励し、自らもエベレスト挑戦を約束。定年退職後は毎日10キロのランニングや北海道への遠征登山等体力づくりを欠かさず、その秋には単身ネパールへ。ガイド、ポーターらを頼らず、ガイドブックを片手に20キロ以上の荷物を背負って標高約5,300mのベースキャンプまで単独登山をした。あこがれの山を目の当たりにし、「やっぱり俺の夢はこれだった」と再認識した。平成31年4月16日から日本人3名、フランス人1名からなる公募隊として登山活動を開始。年号が令和に変わった5月23日午前11時11分に登頂に成功。7,900mの最終アタックキャンプから16時間かかった。「何度も諦めかけたが、1歩でも半歩でも、踏み出し続けることの大切さを身をもって知った」

今回の登頂成功の要因は公募隊がワンチームになることができたことと、多くの教え子達、関わりのある方々の声援を力に変えられたこと。特にシェルパさんの支えが大きかった。

今後も、一歩踏み出し挑戦することの大切さ、小さな習慣が夢を実現する力になること、出来ない理由を考えるより、出来る理由を考えることを糧に、今回の経験を多くの人に伝えていきたい。

2019年5月23日 登頂(8,848m)

関連記事

ページ上部へ戻る