遺伝子研究に魅せられて

高校生時代

私が高校生の時はバイオテクノロジーが注目を集め始めた頃で、将来、遺伝子を操作することで難病、食糧問題、更には環境問題まで克服できる可能性がある夢の学問領域になるともてはやされた時期でした。受験勉強はそっちのけで遺伝子に関する本を読み漁っていた私は、将来、遺伝子に関する研究がしたいと思うようになり、理科大 応用生物科学科に入学しました。

小田鈎一郎先生との出会い

しかし、入学してからしばらくの間は講義や実習に興味を惹かれることがなく、部活とアルバイトに明け暮れる毎日を送っていました。そんな中、大学3年の時に、東京大学医科学研究所で教授をされていた小田鈎一郎先生が応用生物科学科に移ってこられ、小田先生の講義を受講する機会を得ました。
小田先生は癌遺伝子に関するその当時の最先端のトピックスを分かりやすく講義して下さり、私が高校生の時に抱いていた「遺伝子に関する研究がしたい」という夢を思い出させて下さったのでした。その後、運よく小田先生の指導の下で卒業研究ができるようになった私は、アデノウイルスの癌遺伝子が不死化した細胞(細胞培養を繰り返しても死なない状態になった細胞)を癌化させる仕組みについて研究を開始しました。しかし、研究を続ける中で、癌化の仕組みを正しく理解するためには既に不死化した細胞を用いるのではなく、不死化する前の正常な細胞を用いた研究を行うべきではないかと考えるようになり、正常な細胞が細胞分裂を繰り返すことによって起こる「細胞老化」という現象に興味を持つようになりました。

海上自衛隊へ入隊

その後、色々と思うところあって何か全く違うことをやりたくなり、大学院修士課程修了後に海上自衛隊に入隊することにしました。海上自衛隊では広島県の江田島にある幹部候補生学校というところに所属し、幹部自衛官になるための様々な教育訓練を受けました。それまでとは全く異なる環境で過ごす中で、冷静に自分を見つめ直すことが出来、自分が本当にやりたいことを確認することが出来ました。

英国留学

1年後に再び大学院博士課程の学生として小田先生の研究室に戻った私は小田先生に頼み込んで細胞老化を誘導する遺伝子の同定を目指す研究を開始しました。残念ながら大学院を修了するまでには目的の遺伝子を同定することは出来ませんでしたが、何とか学位を取得した後に英国ロンドンにあった王立癌研究基金研究所のGordon Peters博士の研究室で博士研究員として研究を続けました。その結果、細胞老化の誘導に関わる重要な遺伝子の一つが癌抑制遺伝子であるp16であることを突き止めることが出来ました。この仕事が評価され、1998年(33歳の時)に英国マンチェスターの英国癌研究基金パターソン癌研究所において研究室長としてのポジションを得ることが出来、博士研究員や技術職員、大学院生(イギリスでは大学院生にも給与を払います)を雇って細胞老化の誘導機構の解明を目指した研究を行いました。

日本での研究

2003年に帰国してからは徳島大学、がん研究会がん研究所、大阪大学と研究の場を移しながら細胞老化が起こる仕組みとその生体内での役割の解明を目指した研究を行ってきました。一例を挙げると、生きたマウスの体内でp16遺伝子の働きをリアルタイムに可視化するシステムを構築し、細胞老化が生体内の何処で、いつ、どの程度起こっているのかを調べた結果、細胞老化が加齢や肥満など様々なストレスによって引き起こされる生体反応であることを明らかにしました。更に細胞老化は状況に応じて癌化を抑制したり、逆に促進したりと二面性を有することも明らかにしてきました。現在は細胞老化の誘導をうまくコントロールすることで癌化や老化を調節できないかと考え、研究を続けているところです。また、2017年からは国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の「老化メカニズムの解明・制御プロジェクト」の拠点長として微力ながら日本における老化研究の推進に貢献すべく奮闘しています。

最後に後輩に伝えたいことが一つあります

それは「人との出会いを大切にしてほしい」と言うことです。私の人生を振り返ると、思いがけない出会いが人生を豊かなものにしてくれたように思います。特に恩師の小田鈎一郎先生とGordon Peters博士、海上自衛隊で出会った仲間、多くの優秀な部下や同僚。これらの方々との出会いがなければ自分が今もこうして高校生の時にやりたいと願った仕事をしていることはなかったでしょう。人生には色んな道があり、どの道を進むかは自分次第ですが、時には回り道も必要かもしれません。人生は十人十色です。他人の人生と比べる必要はありません。自分が選んだ道をしっかりと歩んでいって下さい。

 

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