第25回 坊っちゃん賞を受賞して

身近なところで理科実験
渡辺 聰明(理・物1967)
栄えある「第25回坊っちゃん賞」の受賞は誠に有難く心から感謝申し上げます。受賞は青森支部サイエンスクラブのイベント「おもしろサイエンス」2002年から現在まで、支部の皆さんと共に活動した成果を評価いただいたと思っています。

前列右から二人目が渡辺さん

当時子供たちの「理科嫌い理科離れ」が話題になっていましたので身近な所に経験の場を提供したいと思い2002年8月、手持ち教材の物理分野を中心に数学、化学分野を加えてスタートすることにしました。当日顔を合わせてみるとメンバーは思い思いの材料、道具を持参していて充実した「おもしろサイエンス」になったと思います。そして、目のキラキラした子供やその家族とふれあっている内にメンバー全員が「来年も是非やろう」と言い始め、現在に至りました。展示もスタート以降、一部を毎年新しいものと入れ替えています。
また、本部の方々が当支部のイベントに目をとめて下さり、支援戴いたことで活動内容が進展、子供たちの笑顔も増えました。本当に有難いことと思っています。
これからも、好奇心溢れる子供たちと、その御家族の方々の「なるほど」、「わかった」、「おもしろい」を多く聞けるよう仲間と共に活動し続けたいと思います。

災害障害者の事をご存じでしょうか?
牧 秀一(理工・数1975)
私は神戸市の夜間高校教師20年目に阪神淡路大震災で被災しました。夜間高校の生徒たちは様々な生活背景のもとで学んでいます。その中で私は教師をしながら震災9日目にボランティア団体「よろず相談室」を立ち上げ、一人暮らしの高齢者や病弱な人の話を聞く活動を26年間続けました。震災で何もかも失った人々の喪失感は想像を超え、活動は疲れ果てます。ですが話を聞く事で「孤独死・自殺」を防ぎたかったのです。一方、町の復興とともに災害の傷跡が見えなくなる中、復興住宅での高齢者の孤独な生活は、絶望へ追いやり、孤独死・自殺が後を絶ちません。
震災から11年目の冬、よく行く喫茶店のマスターに「私は重い荷物を背負っています。薄紙を剥ぐ思いで軽くしていきたい。そのような場が欲しい」と懇願されました。「死」に目が奪われていた私は、建物の下敷きになり、生きのびたけれど重い障害を背負うことを余儀なくされた人々の存在を知りませんでした。そこで12年目の春から月一度「当事者と家族の集い」を開くことになりました。息子を亡くし、自らも片足を切断した母親が、集いに参加するまでの15年間「笑ってはいけない、美味しいものを食べてはいけない」と思い続けていたのです。なぜ社会は災害障害者の存在を知らないのか、それは、消防庁の災害報告書に「後遺症を負った人」の欄が無く、被災者として扱われていないからです。災害報告書にこの欄を設ければ、その存在を認知でき、同時に支援の在り方を考えていけると私は信じています。
今後起こりえる南海トラフ、首都直下型地震では尋常でない死者数と「災害障害者数」が想定されます。

横のつながり・縦のつながり
寺本 健一(理工・建1998)
この度は第25回理窓会坊っちゃん賞を賜り、誠にありがとうございます。
私は建築家として、国内外で様々なタイプの建築をデザインしてきました。どのプロジェクトも、その構想を始める時、できるだけ既成概念に捕らわれないように気をつけます。また、未体験の事や知らない事も多くあります。中東湾岸地域でデザインしたビラ(住宅)は、とても大規模で、日本の住宅とは全くかけ離れた建築になりました。モスクといった全く異文化/異宗教のための建築をデザインすることもありました。また、アートセンターや公園など公共性の高いプロジェクトをデザインする際には、特定の個人のためではなく、不特定多数の方々がイキイキと利用できる空間をどうつくるか考えました。何れのプロジェクトも、自分自身の体験や経験だけでは想像しきれない難しさや面白さがあり、自分の想像を超えた新しいアウトプットになる事を楽しんできました。この経験の中で、大事にしているのはコラボレーションです。私自身の専門領域を超えた様々な分野の専門家の方々と横断的に協働することで新しい学びを得て初めて、想像を超えるような仕事ができます。横のつながりによって、それぞれのプロジェクトの可能性を切り拓く事を学んできたとも言えるでしょう。
今回は東京理科大学の同窓として、大変強力な縦のつながりの中で評価をいただけました。この縦のつながりで、さらに新しい創造や学びを得られることを楽しみにし、今後も建築家として貢献できるように精進してまいります。同窓の皆様との協働も楽しみにしています。

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