未来の理科大経営学部の社会貢献構想を追い続けて

【経歴】
東京大学工学研究科物理工学専攻博士課程修了(1979)。
㈱東芝(総合研究所、米国MIT客員研究員、液晶事業部など)、CovionGmbHビジネスマネージャーを経て2004年よりイノベーション研究科教授。2019年より経営学研究科兼担。

理科大研究職への道 本人談

MITでの指導教員
Millie & Gene Dresselhaus 夫妻

亡父 正春

私の父親坂本正春は戦前の物理学校理化1941(S16)年卒業で即応召しました。輜重兵学校での訓練が成績優秀で恩賜時計を受けたそうですが物理学校で習ったことばかりで簡単だったと述懐しておりました。私は、東大で博士をとって東芝総研に入職後、最初の上司が当時、東京理科大学理学部化学科有機化学の都築洋次郎研究室(ノーベル医学生理学賞の大村智先生も同研究室)のご出身で後に東芝電池社長になられる和田守叶氏でした。理科大MOT(技術経営専門職大学院)の立ち上げの際、私を理科大に呼んでくださいました。MIT(米国マサチューセッツ工科大)から帰国後、理科大ご出身の小林駿介先生とも政府委員会等で交流する機会がありました。理科大から新卒生を何人もお迎えして、TFT-LCDの研究開発をドライブしました。当時、開発部隊は昼夜を分かたぬハードな日々でしたが、IBM(米国本体)との合弁会社DTIの工場立ち上げも含め今となっては懐かしい思い出です。基礎から生産まで貴重な体験ができ一生の宝となりました。

東芝での研究の道のり

太陽と水から電気を作る自立型水素エネルギー供給システム「H2One」(東芝)

東芝の液晶事業は低温ポリシリを使ったスマホのパネルで活況を呈しましたが、その後は、韓台中の猛攻で国策的にJDIに集約されました。
2007年から、理科大電気OBで、日本IBM理事の田中芳夫先生がMOTファカルティに加わられました。田中先生が日本IBM時代、東芝との合弁会社の企画と実現にご尽力されたことを後で知り大変驚きました。

MOTから経営学部へ
理科大MOTが2011(H23)年からPORTAに移り、上層階の理窓会や理窓クラブと文字通り距離が近くなり、前述の田中先生のお誘いもあり、理窓企業人会を覗かせて頂いて、同窓経営者会でMOTのご紹介をさせて頂き、父親の物理学校OB資格で深くお付き合いさせていただきました。

故ウォード神父様

学問とビジネスのご縁ばかりか、東芝時代、若い方の結婚式でお知り合いになった、「昭和3年シカゴ生まれ」とおっしゃるウォード(Fr. Ward Biddle写真)神父様に導かれその後も長くお付き合いしておりましたところ、MOTに赴任当時教室のあった揚場町のオフィスに「サカモトサンスグチカク二イマスヨ」と電話があり筑土八幡の横の修道会に居るとのこと。さらにかつて理科大のカトリック研究会の顧問をしていたと言われましてこれにもびっくりでした。第6代東京理科大学長(1990-2001)の西川哲治先生もプロテスタントの牧師もされていたとは聞いておりましたが、何かのご縁を感じます。

MOTでの思い出
私を呼んで下さった和田先生と、MOTでは社会人学生諸氏が会社で議論することが少ないテーマを研究しようと話し合い、地球環境問題に首を突っ込みました。理科大MOTがスタートした2004(H16)年スパコン「地球シミュレータ」が今でもよく見る気温上昇予測を発表し話題になりましたが、当時は温暖化否定論も多くあり、現在ほど社会的関心は高まりませんでした。意欲ある社会人学生達が、水素供給スタンドがなくても運用しやすい燃料電池電車の提案や人口減で余り気味になる夜間の原発電力で電解水素を作り脱CO2、また太陽光発電や風力発電で電解水素を作り離島や脱原発世界のエネルギー貯蔵のシステム企画など学生の皆様と次々と国際燃料電池展で発表しました。国際会議で、米国ハワイ州の関係者で自然エネルギーNPOを主催していた日系4世のガイ・トヤマさんと知り合い、オアフ島はハワイ大学のHNEI(Hawaii Natural Energy Institute)で国際交流を行いました。ハワイ島ではガイさんのガイドで地熱発電施設の見学などキラウェア火山の活動現場での地熱発電はその迫力とともに大変印象的でした。
夏休みにハワイ大学の空いた学生寮を使い、理科大MOTのハワイ大学MBA短期夏季講習をやらないかと提案され、ガイさんの営業マインドにはMOT教員としても感服しました。
2019年から経営学部経営学科に異動となり、学部学生諸君と気候危機、フードロス、SDGs、POST資本主義等の未来の問題に目を向けて、現在任期終了を目前に、経営学部の一員として今後のさらなる発展を願っております。

(文責:伊藤稔)

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