大村智先生をふるさと韮崎に訪ねる

「韮崎市の生家からの風景を眺めると、詩人の大岡信先生は、『眺望は人を養う』と言われたが、
正に私は恵まれた山梨の大自然の中で育ったとつくづく感じる。」

大村先生は、山梨県人会連合会創立70周年記念講演「私の研究と社会貢献」で生家の周りの自然環境について、上記の様に述べられている。

2019年9月7日に大村先生を韮崎の生家にお訪ねした時、正に山梨の大自然を眺望する生家で大村先生は、東京理科大学理窓会からの訪問者をお迎え下さった。先生は「私の研究と社会貢献」の講演から、理窓会員に向けて、幾つかのお話をしてくださった。

1958年山梨大学を卒業後、都立墨田工業高校定時制に5年勤務し、教員を続けながら東京教育大学の聴講生を経て東京理科大学の修士課程、そして山梨大学で助手を2年した後、1965年北里研究所へ。卒業後8年目ながら学卒と同じ待遇(技術補)で、黒板消しから始まるという勤務で今日に至った訳です。その間幾つかの失敗があったが、結果的には、その失敗が大きな成功へと導いてくれた。

エピソード❶ 修士落第の幸運

高校教師時代に、昼間働きながらも勤勉な生徒たちに心打たれ、生徒に負けぬよう勉強せねばと思い立ち、東京教育大で中西香爾先生に師事すると、その先生から東京理科大学の都築研究室を紹介され、1960年理学研究科修士課程に、1963年同修了。その時1年落第したことが後々の研究人生に役立った。修士課程に3年かかった理由は、1年目で取り組んだ実験(界面活性剤に関する研究)が、横浜国大・篠田耕三教授が同じテーマで先に論文を発表され、そのため2年目からオキシ酸分子内の水素結合に関する研究に変更したため。先生いわく、理科大修士で1年落第したことがなにより幸運だった。この落第のおかげで、化合物の構造を決めるのに重要な情報を提供する、日本に導入されたばかりの装置NMRに精通することができ、その後の北里研究所で抗生物質の研究に入り色々な構造式を決めることが出来たので、あっと言う間に世の中に認められる研究者になる事が出来た。

エピソード❷ 理大助教授の席が空かなかった

山梨大学でワインやブランデーの研究とともに微生物を研究していたところ、理科大薬学部山川研究室の助教授に空きがあるとの情報で直ぐに山梨大に辞表を出したが、空席になるはずの理科大助教授の件は急に空かないことになり、新卒を募集していた北里研究所に大学卒業8年目だが学卒として入所出来た。その人物が将来北里研究所を救うことになるのだから、世の中は不思議なものである。

 

【参加のメンバー 総勢40名】
大村先生の理大時代の同窓生6人 大村先生の教え子9人 理窓会山梨支部8人 理窓会現役員・会員 17人

薬学部の教え子とその当時の教科書を持って

【理窓会員とのふれあい】
ご自身で設計されたご自宅の庭、美術館、温泉、蕎麦屋をご案内頂いた。
大村美術館 (館長 大村 智)には40年以上かけて蒐集してきた美術品を多くの人と共有したいとの思いから、2007年に私設美術館として開館し、翌年韮崎市に寄贈された。
大村智博士のノーベル賞受賞と当館10周年を記念して大村智記念室を開設。博士のスポーツマンとしての一面や、科学者としての足跡、個人美術コレクションを展示している。

大村美術館

大村先生ご自宅の庭


参加者の感想

大村先生生家の前で参加者集合写真

【理科大時代からの親友・佐藤 公隆さん】
大村文化の里に訪れ、先生のいつものような心温まるご講話、大村美術館、美味しいおそばなど、想い出に残りました。

【理窓会・山田顧問】
先生の研究業績のほかに北里研究所の経営、女子美術大学での活動などや、画家・彫刻家との交流など、壮大な大村ワールドに近づくことができたことに感謝いたします。

【薬学部卒業生】
学生時代、大村先生に教えていただいたときの教科書を持参しましたら、快くサインをしていただけ感激しました。「家宝」にします。

【理窓会・奥村山梨支部長】
わが故郷の誇り、大村ワールドにお越しいただき私たちも同席でき感激しました。支部活性化に結び付けていきたいと思います。

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