デジタルアーカイブと「記憶の解凍」〜技術とヒトのコラボレーション

東京大学大学院の情報学環で、情報デザインとデジタルアーカイブの研究に従事しています。研究は、大学院生・外部のさまざまな機関とコラボレーションしながら進めています。

理科大理工学部建築学科に1993年に入学しました。大学3年のときに、建築家、故・小嶋一浩先生が着任され、研究室に勝手に押しかけ、図面の講評をお願いした僕を、とても面白がってくださったのを思い出します。在学中は「アンビルト建築」に憧れ、卒業設計においても「空を飛ぶ建築」を提案しました。それ以来、実物の建築からは離れ、仮想世界の空間・情報空間の「設計」にのめり込んでいきました。

大学院1年生のとき、ソニーのゲーム開発チームに「ゲーム内の建築デザイナー」として採用されました。学んだ建築の知識・技術を基にして、仮想空間を設計する仕事に就くことができたわけです。その後、紆余曲折を経て、気づけば現在の職に就いています。

図1

現在、取り組んでいる仕事は、大きく分けて2つです。「ヒロシマ・アーカイブ」(図1)をはじめとするデジタルアーカイブズ・シリーズと、白黒写真をカラー化(図2)し、対話の場を生み出す「記憶の解凍」プロジェクトです。これらのプロジェクトには、建築と同じように、地域に縁のある人々が参加しています。例えば「ヒロシマ・アーカイブ」に掲載されている証言動画は、広島女学院高の生徒たちが、2010年から継続して収録してきたもの。そして「記憶の解凍」プロジェクトは、同じく広島の高校生・庭田杏珠さんとのコラボレーションによるものです。デジタル技術を起点として、人々のつながりが生まれ、コミュニティを形成しています。

図2 白黒写真のカラー化

そのコミュニティが、過去の貴重な記憶を、未来に受け継いでいくのです。

過去の資産を受け継ぎながら、時空間をデザインし、人々に開く点。さらに、人々とコラボレーションしながらコミュニティを形成していく点が、建築と共通していると思っています。

小嶋先生は、学校建築を多く手掛け、高く評価されたかたでした。代表作のひとつ「千葉市立打瀬小学校」(1995)については、僕も在学中に見学ツアーに連れて行っていただき、とても嬉しそうに紹介されていたことを思い出します。

人々を縛り付けたり、制御するのではなく、自由に、生き生きと振る舞うことができる場を、プロとして設計する姿勢。それが、小嶋先生から学んだことでした。いま取り組んでいるプロジェクトにも、その教えが生きています。僕は、途中から仮想世界へと向かい、実世界の建築を設計する仕事には就きませんでしたけれど、大学で学んだ「ひとの営み」を支える空間づくりを、これからも続けていきたいと考えています。

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