キョーリン製薬ホールディングス株式会社 穂川稔会長に聞く

東京理科大学理学部応用化学科1976年卒 キョーリン製薬ホールディングス株式会社 代表取締役会長

自然と身についた人付き合いの良さ
長野県茅野市に生まれる。父が地銀に勤めていたため、2~3年単位で長野県内を引っ越し。転校の連続だったので、幼馴染がほとんどいませんでした。一方で、知り合ってから友人になるまでの早さ、人付き合いの良さは、このような環境の中で幼少期に自然と身についたものかもしれません。この能力が今生きています。

理科大の厳しさを痛感
東京理科大学理学部応用化学科に入学したのが昭和47年。学園紛争がようやく収まりつつある中のことでした。私はただ化学が得意、東京に出てみたいとの思いだけで理科大に入学するというあまり目的意識のない学生でした。そのため、在学時は、講義が始まると、代返をしてもらい神楽坂の雀荘に駆け込む学生でした。そんな私に鉄槌を下したのは無機化学の関根先生でした。関根先生の試験方法は独特でした。2つの試験に分かれていて、1つは今までの復習編(ファクターと呼んでいたような記憶があります)。もう1つは新規の課題でした。ファクターの満点は1.0点。新規課題は500満点で、その2つをかけ合わせた点数が総得点でした。ここで私はファクターで失敗をし、0点。結果総得点も人生初の0点を取ってしまいました。今まで大学生活を甘く見ていた私でしたが、ここで目が覚め、その後はしっかり取り組みました。以降大学生活の中でも無機化学、とりわけ平衡という概念は自分の得意な領域となった記憶があります。

製薬会社に入社
無事4年間の履修を終え、昭和51年に就職を迎えることとなりますが、この時も大きな志はありませんでした。ただし、時代はオイルショック後で就職難の時でした。何とか働ければと考え入社できたのが杏林製薬株式会社です。
入社後は医療用医薬品の営業(今でいうMR)で大学病院を担当しました。今は全然違いますが、この当時は医薬情報提供というよりは医師といかに良き人間関係を作るかが重要と考えられている時で、診療が終わられた先生方と医局でマージャンをした思い出があります。ここでは大学時代の経験が生きたかと思います。しかし医局に入り浸り、身近に接することで、実感したことは、生命に直結するお仕事に携われている医療従事者の方々の使命感の高さです。今回の新型コロナの対応でもその姿勢に助けられた部分が大きかったと思います。

経営企画と広報
そして2年後本社勤務となり、経営企画室に配属になりました。ここでの仕事は経営計画の策定と、IR広報です。経営計画はこれからの企業の道筋をどうつけるか、もう一つはそれをステークホルダーにどう理解してもらえるか、そしてそのステークホルダーが何を望んでいるかをつかみ取るかです。この2つの業務を担当したことはその後の経営者となる過程において勉強になりました。一方で、株式市場で活躍されているアナリストや機関投資家の方々はすべて経済合理性を優先すると考えがちですが、その前提にある企業理念、なぜその企業は存在するのかを大事にする方もいました。最近注目されているパーパス経営の原点と思います。またその経営企画業務と連動して取り組んだのが事業開発(他社との提携、連携)です。

中堅製薬企業の生きる道
ここで現在のキョーリン製薬の取り組み状況をお話しします。その取り組みは医薬品業界の原則に沿って組み立てています。

原則1「創薬研究の0から1を見つけ出す研究に規模の経済は働かない」
先ほどお話ししたように経営計画の土台は企業理念です。当社は「人々の健康に貢献する社会的使命を遂行する」を企業理念に、そしてビジョンの根幹では「革新的新薬の創製で世界に認められる企業を目指す」と将来の企業像を定めています。日本で中堅、世界の中では小さい企業であるキョーリンがと思うかもしれませんが、ここが製薬会社の面白いところだと思います。医薬品の研究で0から1を見つけ出す研究においては経済原則である規模の経済が働かない業種だと思っているからこその挑戦です。一方でその発見のハードルは高く、生易しい努力では達成できません。ハードワークと偶然が微妙に重なり、その栄冠を手にすることができる世界です。私たちも1980年、世界に先駆け新たな抗菌剤「ノルフロキサシン」を発見し、グローバル企業であるメルク社に導出、世界120か国で販売することができました。それ以降も抗菌剤で2剤を開発、ロシュ社、BMS社に導出する機会を得ました。これからもその夢を追いかけていきたいと考えています。

原則2「新薬開発の成功確率は3万分の1」
一方で、見つけ出した新薬の種を薬までこぎつけるのも至難の業です。1つの新薬の承認を得る確率は3万分の1といわれています。つまり理想は自社による新薬開発ですが、企業の持続的な成長を果たすためには自社研究だけに頼るわけにはいきません。製薬企業の企業価値は新薬(この業界ではパイプラインと称する)と言われますが、私は企業自らが発見する新薬よりも実態は戦略的なライセンシング活動によるパイプラインマネジメント力によるものが大きいのではと思っています。ここで活躍するのが事業開発部門です。新たな新薬の権利を獲得するためにライセンシング部隊は世界の開発動向をくまなく調査しています。一方新薬不足は世界の共通点。メリットがなければ誰もライセンス供与してくれません。そこで当社は企業戦略として呼吸器科、耳鼻科、泌尿器科に特化した領域特化型の営業戦略をとっています。また日ごろから戦略的なパートナーシップ形成にも努力しています。メルク社とは40年を超えるビジネスパートナーとなり、毎年トップと面談し交流を深めています。またライセンシングの手段も、クロスライセンシングでステージの早い新薬を導出し、代わりに承認間近の製品の販売権を手にすることや、日本国内の権利を自社では捨て、有望な新薬を手にするなど戦略的な要素が満載です。

原則3「医薬品は疾患ごとに市場が分かれている」
ライセンシングとは別に企業連携(アライアンス)も極めて戦略的です。ある新薬が出た場合、競合する新薬を販売する企業が大手の場合、共同販売する企業を見出し、提携する、また自分たちが得意とする疾患領域以外はそれを得意とする企業に委託するなど様々な提携をすることで、常に大きな販売部隊を持たなくてもよい形態が可能になります。なぜこのような多様なアライアンスが可能かというとこれも医薬品業界の特性で自動車とか、電気機械業界のように大きな企業がすべての領域において寡占な状況ではないということです。疾患ごとに市場が分かれている。ですからある領域では対抗している企業と違う領域では提携していることもあります。よく言われていることは、右手で握手をして左手で殴り合う業界でもあります。薬業界ではこの事業開発に携わっている理科大卒業の方が多くおり、薬業理窓会と称して年何回か集まっています。ここで多くの人間関係が生まれ、またビジネスに結び付けているのではないでしょうか。私自身もこの会で知り合えた多くの方々に助けていただき今日があると感謝しています。

ビジネスの根幹は人にあり
このことは会社の中でも同じです。いかに良い戦略を立てても実行するのは人です。いかに社員のやる気を高め、燃える集団にしていくか、当社は戦略の中核に「働きがいNo.1企業」を掲げその実現に取り組んでいます。その実現のためには明確なビジョンと経営トップがそれを説き、一人ひとりの心に火をつけて回ることが大切と感じています。
最後に、人との関係性がビジネスを決定する最大な要素と思える現在、今後は人の行動科学を学んでいきたいと考えています。

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