ウイルス感染症の制御を目指して

私が理科大を選んだ理由
高校生だった私には将来自分が何になりたいのか?という明確なビジョンがありませんでした。ただ小学生か中学生の頃だったか記憶は定かではありませんが、夏休みの宿題で自分が興味を持った新聞記事に関する感想をノートに書くという課題を出されたことがあります。その中で私は「ブタの肝臓をヒトへ移植する技術」に関する記事について興味を持ちました。そのことが影響したかもしれませんが、なんとなく科学技術というものに興味を持ち「生物工学」というキーワードに惹かれて、理科大の基礎工学部生物工学科(現在の先進工学部生命システム工学科)に入学しました。

長万部寮時代
当時、基礎工学部の学部1年生は長万部寮における寮生活が必須でした。武道館での入学式を途中で退席し、基礎工学部生の全員が飛行機に乗って北海道へと旅立ちました。空港からバスで長万部町に到着した頃にはすでに日が暮れておりましたが、バスの窓から外を見ると町民の皆様が沿道で旗を振って歓迎してくださっていたことを今でもよく覚えております。この長万部で1年間寝食を共にしたことにより今でも繋がりのある友人に出会えたことは私にとってかけがえのない財産です。夏休みには仲間と3人で寝袋を持ち、ヒッチハイクだけで洞爺湖、登別、札幌、宗谷岬、サロマ湖、網走、富良野など各地で野宿をして旅をしました。帰りは小樽駅の始発から青春18きっぷを使い、途中八戸駅前で野宿をして2日間かけて東京へ戻ってきたことは一生忘れることができない良い思い出です。

卒業研究
学部4年生になると研究室に配属されました。私は第一希望通り、免疫学や抗体工学がご専門の千葉丈教授の研究室へ入ることができました。そこでは細胞培養や遺伝子のクローニングなど研究に必要な基礎を学ばせていただきました。研究室には当時博士課程3年生の先輩がいらっしゃったのですが、その先輩にはお酒の席で研究の魅力だけでなく、研究の世界で生き残っていく厳しさについてお話を伺うことができました。この先輩との出会いが、将来自分は何をやりたいのか?について真剣に考えるきっかけになったと思いますし、その後の私の研究者人生に大きな影響を与えてくださいました。

大学院時代
私の恩師である千葉丈教授は、理科大の教授に就任なさる以前は国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)で、肝炎ウイルスの研究に従事されていました。その関係で、私は修士に進学してすぐに連携大学院の研究生として国立感染症研究所で経鼻インフルエンザワクチンの研究に関わることができました。研究は楽しかったのですが、研究の世界で生き残れるのかということもあり、博士課程に進学するかどうかしばらく悩みましたが、一度の人生なので後悔しない選択を、ということが結論となり博士課程への進学を決めました。

学位取得後から現在まで
私は自由に英語を喋れる訳ではありませんので、学生の頃は自分が将来海外へ留学することなど想像もしておりませんでした。しかし感染研の先生方が「卒業したら普通は海外へ留学するものだ」という雰囲気を作ってくださったおかげで、全くその気がなかった私も「留学」というバンジージャンプを飛ぶ気になり、卒業後はYale大学の岩崎明子教授の研究室で、生体がインフルエンザウイルスを認識するメカニズムの解明や腸内細菌叢がインフルエンザウイルスに対する防御免疫に重要であることを明らかにすることができました。2年半という短い留学期間でしたが、成果を残して無事に日本に戻ってこられたことは幸運なバンジージャンプだったのかもしれません。その後2012年に、ウイルス学の世界的な権威である河岡義裕教授からお誘いをいただき、東京大学医科学研究所で独立准教授として研究室を主催する機会を得ることができました。現在はインフルエンザウイルスや新型コロナウイルスによる重症化メカニズムの解明やワクチン開発に取り組んでいます。

現役の学生さんへ
ヒッチハイクによる野宿の旅に必要なことは好奇心と忍耐力です。研究もヒッチハイクの旅も思い通りに行くことと行かないことの繰り返しです。どちらも思い通りに前に進めないことばかりですが、仲間に支えられ、思いがけない救世主との出会いがその後の進路に大きく影響します。苦しい時に大切なことは諦めずに粘ることです。コロナ禍で研究や就職活動に苦戦している学生さんがいらしたらこの「粘る」ことを思い出していただけたら幸いです。

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